反応と応答「友情はセックスのない恋愛である」をめぐって〜利害関係と友情、相転移モデル、過去の議論〜

まさかあんなにブクマされるとは思わなかったぜ…!ありがとよ!!
以外にも素直に納得されてる方が多くて驚きました。まぁ反発されてる方も少なからずいらっしゃいますが。
精神分析による真理はいつも驚きと反発をもって受け取られるものです。フロイト然り、ラカン然り…。
あと橋本治の名言「友情はセックスのない恋愛である」を知られてない方も多かったのかな?
まぁ僕らの世代とかだと橋本治読んでるって人あんまし聞いたことないしなぁ。僕も『広告批評』の巻頭の文章ぐらいしか読んだことないし。この名言も斎藤環からの孫引きだし。

紙屋研究所さんとこで紹介されてた吉野朔実『恋愛的瞬間』ISBN:4091913962、これも読んだことなかった。ブクマコメントでb:id:kusamisusaさんが「超絶大傑作」と絶賛されてるので今度ぜひ読んでみようかと思います。


さてせっかくまだ夏休みでしかも今日は天気も悪いしそれにバイトもしてない暇人大学生ニートなので、できうる限りトラバやコメントに反応してみようと思うよ!一気にはさすがに無理っぽいので少しづつ。

利害関係と友情

友情が成立するには、下の方にも書いたけれど、「利害関係が絡まない」ことが前提にないと難しい、というのが僕の考えなんです。または、利害関係を超える覚悟が必要ではないか、と。言い換えると、打算がない関係が友情だ、って感じ。

困ったときに助けてくれるのが友達だ、というのが友達の定義ならば、やはり利害関係とか打算とかが初めから存在しない(それか、いざとなったら利害とか打算とかを投げ捨てられる)、という状況がないと。

で、僕は、恋愛って利害関係が絡みまくってるし、打算だらけじゃないか、と思うわけです。そういうのが入りこまない恋愛だけが「本当の恋愛」だ、という言い方もできるんでしょうが、うーん、それは恋愛を美化しすぎじゃないかな、と。

トラバより。
id:nijuusannmiriさんにはきっと素晴らしい友人がいっぱいいるんだろうなぁと思った。俺も友達になりてーよ!マジで。
けど正直言うと僕には利害関係の絡まない関係というのがうまく想像できないですね。
もし友達にお金とか貸したらやっぱ返してほしいですよ、いやこれは冗談ですけど。
うーん、友情というものを美化しすぎじゃないかな、と。親友との友情だったら分かるかも。
僕はどちらかといえば同じくトラバを送って下さった有無夢さんのこの意見に賛同します

僕の持論では男同士だろうが、男女だろうが、女同士だろうが、人間の関係は恋愛感情と損得勘定によってきまっているとおもっている。

だから「良いお友達でいたい」発言は、
「まあ何かあんたは使えるやつなので、損得に関わるところがあるのですみません」と思うのはどうでしょうか。
恋愛感情と損得勘定 - 有無夢

しかし恋愛に利害関係が絡みまくってるってとこには完全に同意です。
男女の恋愛に限定されますが、一番でかいことは子供ができるかもしれないってところじゃないかなぁ。そういう意味では「友情は子供のできない恋愛である」とかも言えたりするかも。男女限定で。(追記:子供をもつ同姓のカップルもいるのでここは適当ではないかなとも思いました)

あと、恋愛は基本的には「私」と「あなた」の1対1の関係だけれど、友情はそうとは限らないということもあります。『三銃士』みたいな、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」的な関係は、「恋愛が友情を包含している」という考え方からはこぼれ落ちてしまいますよね。多分。

これについては―かなり抵抗される方もいるかもしれませんが―宮台真司がよくおすすめしてた「スワッピング」をイメージされればよろしいのではないでしょうか。これは冗談抜きで。
通常の恋愛、日常となった結婚生活に再び「お祭り」「非日常」を取り込む手段として宮台真司がたいへんよく勧められてました。スワッピングも恋愛の一つの形式として認めてもいいのではないかと思います。僕はやりたいとは思いませんが(笑)

相転移モデル

あとブクマコメントでちょっと気になった言葉があって、ちょっと誤解されてる方も多いかもしれないので少し補足しときます。
奇妙なタグ付けで有名(?)なb:id:mindさんのコメントで「友情と恋愛は連続するという説」と書かれていますが、「友情と恋愛は連続」であると言えるかどうかは微妙です、僕もそこまでは言ってないはず。


あくまでモデルとしてですが、物理を知ってる人なら「相転移」をイメージしてもらえばかなり近いのではないでしょうか。
相転移」というのは例えば、氷が水になったり水が水蒸気になったりする変化のことです。


この前のと同じような図を使って説明してみましょう。中学校とか高校で習ったと思うけど。

液体の水から水蒸気への変化を例にとります。水(H2O)は分子の集まりでできていますが、それらの分子は常にエネルギーをもって運動しています。僕らの目には見えませんが。
しかし、かといって完全に自由に飛びまわれるわけではありません。液体の水である間はある程度の拘束、<抵抗>があります。図にも書き込んだような「分子間力」(分子間の引き合う力)や「結晶構造」がそれです。「温度」や「圧力」は正確には<環境>の条件といった方がいいかもしれません。
これ以上つっこんでもしょうがないので詳しく知りたい人は勉強してもらうとして…ご存知のように水を熱していけば(これは水の分子に運動エネルギーを与えることと同義)沸騰します。日常生活(1気圧)の中であればその時の液体の水の温度は100℃です。
沸騰している間は液体の水の温度は100℃のまま変化しません。100℃を境に液体の水は水蒸気へと変化するのです。
この変化はマクロな視点から見れば「連続」であるとは言い難い。液体の水と気体の水蒸気では明らかに状態が違うし。


この相転移のモデルが昨日の「友情‐恋愛の関係」のモデルに当てはまるのではないかと考えられます。前回の図を知ってる人は分かるように水→友情、水蒸気→恋愛とかにして。

さっきの図に合わせて色づけして(なんか気持ちわるくなってしまった…色のセンスがありません…)前回のときの図より<好意>の矢印、ベクトルを増やしました。
「友情」の相から「恋愛」の相への変化は不連続であることは恋愛ドラマや少女漫画(「やおい」も含んでしまおう)を見ても分かります。それらでいつも重要に扱われるのは「運命の人との出会い」の瞬間だとか「愛の告白」、あるいは「肉体的な接触」(キスとか性行為など)の場面です。これらはさっきの水でいえば100℃の境界にある瞬間です。<好意>のエネルギーが<抵抗>のベクトルを振り切る瞬間といえます。俗に言う「一線を越える」ってやつだね!(ちょっと適当)*1

以上から「友情」から「恋愛」への変化は不連続的と言えます。


ここまで書いて、<好意>のベクトル、エネルギーとか呼んでいたものは明らかにフロイトの「欲動」のことじゃねーか!って思った。
そういえばフロイトって人は人間の内に潜む欲望をエネルギー的に捉えていたわけだけど、その発想ができるには科学における熱力学の発見と進展とか関係あるのだろうかとか妄想。今度調べてみるか。

過去の議論、前にもあったわこういう話

Bossoさんのところで知った。2004年ごろにもやはり同じような話題が。参考までに。

他のエントリーとか

書き始めるとキリがないのでとりあえず今回は以上で。
あとは「セックスありの友情」の話とか「セックスなしの恋愛」の話とか、ラカンの「性関係は存在しない」ってこういうことなんだ!って話とか、「友情だとか恋愛は結局近代の産物だよ」とかメタ視点から言ってる人への批判とかしたいけど一度じゃ無理。
あとこの話題関係で面白かったエントリーを二つ。

界隈で盛んに議論されているこの問題であるが、冒頭で先ず書いておくのだけれど、この問題は男女間だけではなく、同性愛者の間でも盛んに議論されている事だ。

同性愛者の場合、友情と恋愛の敷居を設定することが難しく、相手がノンケである事を鑑みて自分の恋愛感情を押し殺して友達として付き合っているというケースが多いというのはご存じの通りだと思う。

というわけで、当エントリでは敢えて「自分の性的対象」という表現で統一させて頂いている。

「自分の性的対象」という表現の統一は面白い。ここでは性別が「見る方」と「見られる方」に分けられる。たしかラカンが「まなざし」を分析したときだかに同じことやってた気がするが忘れた。勉強してくる。

やっぱし図が上手いなぁ。タイトルも秀逸。

*1:「友情が「日常生活」だとするなら、恋愛は「お祭り」でしょうか」id:eggmobile:20060831の喩えは面白いですね。「お祭り」もエネルギーを発散する場面です。ただしそのあとの「男性は性交渉を抜きにした愛情表現が、女性と比べて長けていると言えるでしょうね」という指摘については疑問があります、むしろ僕は逆のように感じるのですが…今は保留。