動物の時代の果て―ライブドアショック―
kajougenron : hiroki azuma blog: ライブドアとオウム?
最近は二層構造論を整理して展開中の東浩紀氏のブレイクエントリ(いろんな意味で)。
ブクマとかでは「隊長!隊長!」*1とか言われてるけど、こういう比較は面白いね。
となると『虚構の時代の果て』(大澤真幸)とか『動物化するポストモダン』で行われていた時代整理の図にこんなふうに書き加えをするのもアリかもしれない…かな?↓
年 | 時代区分 | 象徴する事件 |
---|---|---|
1995〜 | 動物の時代 | ライブドアショック |
1972〜1995 | 虚構の時代 | オウム真理教事件 |
〜1972 | 理想の時代 | 連合赤軍事件 |
個人投資家たちがオウム信者と同じく「アイロニカルに没入」していると書かれているが、僕のイメージだと個人投資家たちというのは株価の値動きに身体的に反応して「欲求」を満たしている動物のようにも捉えられると思う。たとえば極端な例になるが160万円を50億超にした無職の若者のインタビューとか読んでみるとそれを強く感じる。興味深いのが「最初の頃はもうけるのが楽しかった」が、今は「もうけてもつらい」と語るところだ。
もうけても「つらい」
10分程度の取引で20億円余りもうけたことになる。さぞかし気分が良かっただろうと思うが、
「もうかっても、損しても精神的にかなりきつい。やっててつらいんです。1回この世界に入ったら、何をしていても株で頭がいっぱいになる。やめたいのに、やめられない」
何だか悲痛な言葉が返ってきた。
一生遊んでも暮らしていけるだけのお金を手に入れたのだから、つらいならやめてしまえばいいと普通は思う。だが、そうもいかないらしい。
「家族からも『やめたら』と言われる。でも、いつでも値動きがある。もうけのチャンスがそこにあるのに、失うこともつらい。出来たはずのことをしなかったことで仕事放棄のような気がしてしまうんです」
もはやこれは投資すること、値動きに反応することが中毒addictionのレベルにまで達している事態といえる。
こういう個人投資家の姿は一般的ではないかもしれないが、そんなに特殊でもないように思う。
短期でもうけようとする個人投資家にとって、その株の銘柄そのものの価値というものはどうでもよくなってて、ただその値がどのように動くのかが重要になっていると思う。いわばここでは取引が実態と離れメタゲーム化してしまっている。
そしてメタゲームの果てに動物化が起こり始める*2。個人投資家たち(特にライブドア信者)は株価の値動きに戯れる動物と化す。
結果が今回の事件だ。動物化した個人投資家たちは、今回のライブドア強制捜査にまさに身体的に反応し、株を集団的に同時多発的に大量に売っぱらうことによって、東京証券取引所という社会のインフラにダメージを与え、全銘柄の取引停止という世界でも稀に見る異例の事態を起こしたわけだ。信仰の果てに地下鉄というインフラにサリンをばら撒いたオウムとまさしく相同であると言えよう。
とまぁこんな見立てをしてみるのも楽しいね。
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