『数理社会学第二』(講師:中村)11/7
講義の名前によるイメージと内容が離れることはよくあるがこれもまた然り。
前前回ぐらいの講義
- 文化の伝達と遺伝子の伝達
- 遺伝子の流れを左から右への一つの束と考える。
- 文化はそこに横から介入する。
- 親から教育「垂直伝達」
- 同世代内で文化などを習う「水平伝達」
- 親以外の前世代の人(先生など)から習う「斜行伝達」
- 遺伝子と文化の共進化
遺伝子のゲームと文化のゲームと捉えるとウィトゲンシュタイン−ハート−橋爪大三郎による「言語ゲーム論」と接続できる気がした。
「伝達」というものを一種の「権力」と捉えれば完全にこの話は完全に「言語ゲーム論」で切れる、というか状況が見やすくなる。まぁ「言語ゲーム論」は何でも切れちゃうってとこもあるんだけど。
去年の橋爪氏の講義『理論社会学』のプリントから「権力」に関するとこを少しだけ引用しとく。
権力は、意志の問題ではない。権力は、人びとをある言語ゲームのうえに固定し、つなぎとめる、作用である。それは、その言語ゲームのルールとは「直角」にはたらく。
ではその実体は何かと言えば、それは、さまざまな言語ゲームの歴史的な配置だ、と言うしかない。
『理論社会学』(講師:橋爪)プリントより
今回の講義
おそらくインセストタブーについて、進化生物学が回答することは不可能であろう。
なぜならこの問題は精神分析の範疇にあるだろうから。
斎藤環が『文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ』のときから述べているように、システム論と精神分析は互いに互いの限界を設定しあう、けっして交差しえない関係にある(斎藤はこれを架橋しようとし続けている)。このことを踏まえれば、進化生物学なんてのはまさにシステム論なわけで、それが人間の近親相姦の禁忌に言及できるはずがない。
(けど精神分析で兄弟姉妹間のそれについての言及てあったっけ?精神分析は母子、父子のそれしか分析してなかった(エディプス、エレクトラ・コンプレックス)ような気がする…。)
(文化人類学のレヴィ・ストロースはインセストタブーに関して優れた回答をしているわけだけど(親族の基本構造)、あれが現在の社会にも当てはめていいものか少し疑問。。。)
ただ動物の近交回避になるとまた話は変わってくる。動物に精神分析とか無いからね。動物は「言語」を持たないからね。
僕はよく知らなかったが、動物にも、近親を避ける傾向のある種がいるらしい(??)けどいとこはOKらしい。
近交弱性inbreading depressionとかを持ち出してそこらへんを語ろうとしているのだが、どれもいまいち説得力がない。
それにしても、Westermarck仮説は興味深い。けどホントかなぁ、幼なじみキャラはかなり萌えなんだけどw
これは動物からいかにして人間が現れるのかという極めてcriticalな問題にも関わる。これは『不過視なものの世界』で東浩紀×斎藤の対談でも出てきてたけど。
話を変えてここでまた言語ゲーム論を持ち出す。言語ゲームの影響を受けたと言われるハートの法理論で考えてみると、インセストタブーは1次ルールと捉えると、兄弟婚を禁止する法律は2次ルールと捉えられる。
1次ルールは『責務を課すルール』として一般化される。ならばインセストタブーとはどんな『責務を課すルール』なのか?
なんかここらへんの話は、進化生物学やら構造主義やら文化人類学やら精神分析やらでよく分からん。
関連
「インセスト・タブーについてのノート」
http://anthro.zool.kyoto-u.ac.jp/evo_anth/symp0104/nishida.html
言語ゲームと社会理論―ヴィトゲンシュタイン ハート・ルーマン