情報社会を攻略するために―『社会的な身体(からだ)』荻上チキ

社会的な身体~振る舞い・運動・お笑い・ゲーム (講談社現代新書)

社会的な身体~振る舞い・運動・お笑い・ゲーム (講談社現代新書)

若手で注目されてる論客、はてなではお馴染み荻上チキ(id:seijoctp)さんの新書。

私たちが社会の中で獲得していく個人の身体に対するイメージ、「社会的身体」という概念をキーワードに「有害メディア論」から「情報思想」「お笑い」「祭り(注:ネット上のね)」「運動(社会運動からサウンドデモまで)」を語る内容充実の200ページ。


まずいきなり第1章で「ケータイを持ったサル」「ゲーム脳」など、遡ればソクラテスの時代(文字批判!)から繰り返されてきた「有害メディア論」を抽象度の高い視点からその構造をきれいに整理。その結果は「有害メディア論十則」として簡単にまとめられています。

これからもずっと繰り返されることだろうからこの視点は持っといて損は無い。本当ならそういう「有害メディア論」を言い出す人たちに読んでほしいんだけどなー。


2章と3章の間にある書き下ろしであろう「ノート「情報思想」の更新のために」では(名前は明記はされてないが)東浩紀宮台真司らの情報社会論批判、そしてその更新を目指す意欲的な論考が載っている。ノートということでおおまかなアイデアが述べられているだけのような感もあるが興味深く見えた(次回単行本とか出して詳しくやったりするのかな?)。

…現状を説明するためのリアリティに用いられるのは、「大きな物語」の再生産でもなく、「島宇宙」への居直りでもない。言いかえれば「他者への無関心」や、「成熟の拒否」といった想像力の形がすでに否定されたうえで、互いの姿を何かしらの形で確認しながら、柔軟で丈夫なネットワークを構築することが望まれている(図c)。
―p104「ノート「情報思想」の更新のために」―『社会的な身体~振る舞い・運動・お笑い・ゲーム (講談社現代新書)

図は本書で。

ネットとかケータイとか情報環境の変化で僕たちの「社会的身体観」はかなり更新されてるけど、それに比べて「情報社会観」は東浩紀の「二層構造論」以降あんまり変化していない。多少変わったとしても「人はどんどん島宇宙に自閉していく…」てことは前提の上での変化で、上の引用で示されているような方向での「情報社会観」のバージョンアップは新鮮に感じる。そういえば同じような方向性を宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』で作品論を通して示そうとしてた気がするね。

僕としては「「他者への無関心」や、「成熟の拒否」といった想像力の形がすでに否定されたうえで」というところには「そうかなぁ?」と思うところもあるが、そこらへんはこれからこのモデルに沿って検証、修正してみたいと思った。

後半でメディアを身体化する快楽(ゲーム性)について書かれていたけど、こういうモノの見方が更新されたり、バージョンアップされていくのも楽しいよね。新しいブラウザを試してみるときとか、Firefox3.5が出たときのワクワク感に似ているかもしれない。(もちろん新しいことが善であるとは限らないけど)


後半の「お笑い」「祭り(カスケード)」についての論も面白い。「お笑いの世代区分」「社会運動の変容」にしろ整理がうまい。多少学術的な用語で語られているがお笑い好きな人読んでも面白いと思う、むしろ好きな人の方が深く読み込めて面白いかも。

複雑さを増す「情報社会ゲーム」を攻略していくためのマップとなりツールとなる1冊です。

著者のチキさんのブログでの紹介。表紙のiに色々意味が込められているそうな。