「これまで頭蓋をあけてみた人間にはみな脳があった。驚くべき偶然の一致ではないか」/私たちは何で考えているのか?―皮膚、指先
ウィトゲンシュタイン全集9(大修舘書店)『確実性の問題』のところにこんな記述があるそうです。
これまで頭蓋をあけてみた人間にはみな脳があった。驚くべき偶然の一致ではないか
- 作者: ウィトゲンシュタイン,黒田亘,菅豊彦
- 出版社/メーカー: 大修館書店
- 発売日: 1975/01/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 3回
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ウィトゲンシュタインらしい生真面目さゆえのユーモアあふれる一文といえます。僕には脳還元主義への痛烈な皮肉のようにも読めました。
というのも、先日「手作りスキンケアから現代思想」まで語られるこちらのishさんのブログに次に紹介するエントリーがありまして、驚いたことに僕のブクマコメントを引用までしていただいたのです。以前ブクマでトラブルがあった身としては自分のコメントがいい方向に作用してうれしい限りです。
わたしなら「無脳論」くらい言ってみたいです。「神など存在しない」ならぬ「脳など存在しない」です。
ここで、突きつけられた解剖標本やデータに対し、「神が精神に介入し」「脳はただの形骸であり」などと言っては、ちゃんとしすぎです。脳そのものが幻影、「そんなものわたしには見えない!」くらい図々しくなくてはいけません。アポロ月面着陸捏造論者なみに「脳などという器官はCIAの陰謀である」とアジる勢いです。
ヘタするとウィトゲンシュタインのさらに上を行ってるんじゃないかと思わせるステキな文章です…。
「脳は存在しない」…まるでラカンの「女性は存在しない」のように美しい一言ではないか!
そういえば先日友人が「存在」を「記述」と「表現」で意味を分けて整理していたのを思い出しました。彼は「規律訓練は存在しない」、つまり「規律訓練は記述できない」という意味で「存在しない」と語っていました。
ラカンせんせいも「女性」については自分の精神分析のフレームでは記述できないもんだから「女性は存在しない!」とか言っちゃったんだけどそこを言っちゃうところがラカンせんせいの魅力だよね(そういえば誰かさんが日本のラカンの解説者はそろって天然ボケだって言ってたけどラカンせんせい自体がこんな感じだからしょうがないよね(笑))。
そんで面白かったのでブクマさせていただいたのですが追記の方で反応をいただきました。
追記:
「脳は存在しない」くらい言ってみる
massunnkさんが「脳だけでものを考えようとする発想がわからないんだよなー末端あっての脳なのに。皮膚とかさ。ヒフヒフ。」とコメントしてくれていますが、素晴らしく正しい! もうほんと、脳にはうんざりです。いや、本当に脳と真面目に向かっている方々は「身体あっての脳」という視点をあっちこっちで書かれているのですが、ゴーストやらサイバーパンク的文脈やら、挙句の果てに脳トレやら、最悪です。脳トレしている暇に筋トレしろ、と声を大にして言いたい。
皮膚、とても大事。脳なんてただの皮膚マップやん、くらい思います。脳好きな人は異様に視覚偏重で、触覚のパワーをまるで理解していないように見えます。
やっぱりスキンシップ&スキンケアね♪
いやいや僕なんかのブクマコメントに反応していただいて恐縮です。
「脳トレしている暇に筋トレしろ」。
山のサークルなのにトレーニングを怠ってた自分へのメッセージとしてもありがたく受け取らせていただきます…そういやmu君にもイワタにも同じようなこと言われたなぁ…。
考えてみると僕がなんで目でも耳でも鼻でも舌でもなく皮膚に言及したのか。
おそらく次の2つが原因なのです。
■皮膚って言った原因1.最近こういう本を書店で立ち読みした。
ちゃんと読んでない立ち読みした本を紹介するのは何か後ろめたさがありますが、タイトルが面白かったのでついつい手にとってしまったのです。これです。
- 作者: 傳田光洋
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2007/07/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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まぁ僕はぶっちゃけパラパラしか読んでないので何も言えないのですが…と思ったらもうishさんが読んでしまわれたようです。ishさんのレスポンスの速さに驚きですw
スキンケアオタクとしては見過ごせない!と思い早速読んでみたのですが、脳・こころ・進化系の本として面白いだけでなく、胸がギュギュギュ〜とされる切ない本でした。話題としてはどちらかというと理系男子ノリなのですが、文体も本の雰囲気も「優しい」空気に満ちていて、行間から赤外線ストーブのような温かみが感じられるのです。…
スキンケアオタクだけに詳細なレビューを書かれています。「偏在する脳」「皮膚と『超能力』」「こころと皮膚」「髪は命綱」。「偏在する脳」と「皮膚と『超能力』」に関する次の文は興味深いですね。
「脳」という言葉を情報処理システムを内蔵する臓器と考えるなら、「脳」は全身に分布しています。
本書では、いわゆる「超能力」と皮膚の関連についても考察されているのですが(オカルト的視点ではまったくない)、「眼以外の『視覚』」と題された一節に興味深い事例があります。視覚障害者の子供たちが、眼が見えないにも関わらず運動会の競技をこなしていることについてです。
この現象は通常「視覚に代わって別の感覚が発達し補っている」と説明されるわけですが、不思議なことに、生徒たちにハチマキをさせると途端にコースを認識できなくなり、競技そのものができなくなってしまった、というのです。博士が彼らに聞くと、うまく説明できないが、額、つまりおでこでモノを「見て」いるので、ハチマキされると「見えなくなって」困ると言うのだそうです。
この現象について、いくつかの解釈が慎重に提示されるのみなのですが、「表面を覆われることで妙に感覚が鈍る」というと、武術・格闘技のことを連想してしまいます。
『第三の脳 皮膚から考える命、こころ、世界』傳田光洋
わたしの乏しい経験の範囲内では、防具を付けることによる「遮断」感があります。
…
慣れでかなり適応はするのですが、特にスーパーセーフを付けていると、「見えて」いるのに反応できない、ということが何度かありました。蹴りのモーションなどがはっきり認識できているのに、身体がついてこないでまともに食らってしまう。すごくイヤです。
格闘技については僕こそ経験が乏しいのでわからないところがありますがそういえば剣道を小学校のときにやってたことを思い出しました。剣道の防具については説明するまでもないですが、僕はあの面の視界の狭さが嫌いで剣道をやめたのでした。手ぬぐいがずり落ちてきて目が見えなくなってその間に叩かれたりして超痛かったこともあったしw
なるほど「見えて」いるのに反応できない、というのは面白い現象ですね。
■皮膚って言った原因2.斎藤環が『インライド・エンパイア』を皮膚の映画と呼んでた
僕は映画もたいして見てない人間なのでデイヴィッド・リンチなんて斎藤環が薦めてたから『ロスト・ハイウェイ』を観たぐらいでなんの知識も無いのですが、斎藤環はこの映画の評で次のように語っていたのです。
この映画には、じつはもうひとつの画期的「発明」がある。
それは「皮膚」である。そう、「IE(インライド・エンパイア)」は皮膚の映画だ。人物の顔の不自然なクローズアップが、これほど多用された映画を私はほかに知らない。カメラは俳優たちの顔に、まるで蠅のようにつきまとう。そう、皮膚のテクスチャーが判別可能になるほどに。…『InterCommunication 62』p29 斎藤環 - 皮膚の映画、あるいは壊乱するメタ世界 - 『インライド・エンパイア』論
引用するときりがないのでこれくらいにする。興味ある人は今期のインターコミュニケーションをお近くの書店かなんかで立ち読みしてみてください。
斎藤は大阪の美術館での「現代美術の皮膚」展のパンフレットにコメントしたりしてるみたいです。
ついでにそんな斎藤環せんせいですが、10月30日になんとあの「爆笑問題のニッポンの教養」に出演されるらしいですよ!
■[告知][TV出演]
●ETV特集 10月7日日曜日 22時より
「生きづらい時代の大人たちへ 〜シンガー・馬場俊英のメッセージ〜」
●爆笑問題のニッポンの教養 10月30日火曜日 23時より
興味持たれた方はぜひごらんくださいな。
文脈が全くちがいますが2つとも「皮膚」に注目しているという点が共通していて面白いと思ってたのです。
私たちは皮膚についてどれだけのことを知っているのか?
そういえば今日は書店で次のような本を見かけました。
- 作者: 青柳いづみこ
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/05
- メディア: 単行本
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いづみこさんは冒頭で次のように宣言してこの本を始めます。
ピアニストは手がすべて
これも残念ながら立ち読みでしたが、歴代のピアニストたちの写真が色々載ってて、改めてピアニストたちの手を凝視してしまいました。これも面白そうな本です。
これもタイトルがステキです。『ピアニストは指先で考える』。僕も今、キーボードの感触を確かめながら指先で考えているのかもしれません。