原爆/リトルボーイ/広島/Perfume―かしゆか、あーちゃんのローカルアイドルっぷりとのっちの視線
こういうことを言うと「また変な文脈とかなんとか言い出しおって」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、もうすでに村上隆がニューヨークというアメリカの経済的中心地で大々的に言い放ってるし、それに対する大塚英志の怒りもよくわかるが、原爆による敗戦は歴史的事実として残っている。
村上隆はこんな見立てを作った。
「広島に落とされた原爆が『リトルボーイ』」だったことは象徴的だ。
戦後、まさに日本はアメリカに武力を奪われ、去勢された『リトルボーイ』になってしまった。
オタク文化はそんな戦後日本が生み出した『アート』である」と。
うろ覚えな記憶で打っているので、詳しく知りたい人は検索でもして調べてほしい、
「リトルボーイ 村上隆」とでも。
これから僕が書こうとしていることにファンの方々は怒りを覚える人もいるかもしれない「結びつけるな」と 「それは言わない約束だ」と。
しかし、あえて言わせてください。こんな僕をお許しください。
僕は今ブレイクしつつある「Perfume」があの「広島」のアクターズスクール出身であることが偶然とは思えない。
そして彼女たちは今でもその「ローカルさ」を保ち続けている。ライブのトークでの活き活きとした広島訛りの入った声と、歌っているときのある種、無機質な声とのギャップは彼女たちの重要な「売り」の1つだ。
さらに彼女たちはテレビやマスコミなど「マスメディア」の回路を徹底して拒否しているように見える。
その点から一部ファンからは「売り出し方が下手」などと非難されもするのだが、僕はそれは彼女たち、あるいはプロデューサーの戦略だと考えている。
先日書いたように彼女たちはほとんど「インターネット」のみを介してブレイクした世界初*1のアイドルだ。海外にもファンが多数おり、音楽データなどがネットを介して流通していた。ekuseruさんなどはその代表とも言える。
先日、彼女たちのアクロバットな立ち位置、「オタク/サブカル」というコードを横断する彼女たちのパフォーマンスを僕は高く評価したのだが、ここでさらにもうひとつのコードが加わる。
それは「ローカル/グローバル」のコードだ。彼女たちは「ローカル/グローバル」というコードすら横断し、「グローカリゼーション」があり得ることを地で示している。ここに私たちはまた感動するのだ。
原爆が落とされた地の戦争教育はそれなりの教育がなされると聞いたことは、皆さんもご存知だと思う。
そんな地で生まれ育ち、「沖縄」*2からやってきたアクターズスクールに入学しダンスと歌を磨き、今、インターネットを介して世界中のあちこちで、日本のあちこちでブレイクしつつある彼女たちPerfumeのことを思うと僕は涙が出そうになってしまう。(追記:こんな言葉では伝わらない、僕はどう語ればよいのだろうか!)
彼女たちの背景にあるかもしれない日本の「戦後」を皆が見る必要は全くないが、彼女たちがそういう広島というローカルな地の出身であるということの重要性はライブで直接見てない人たちにも知っていてほしい。
あーちゃんとかしゆかが広島訛りで織りなすいかにもローカルアイドル的なボケに、のっちがツッコミを入れる瞬間が僕はとても好きでたまらない。
(追記20070808)
かしゆかのいかにもアイドル的なふるまい、あーちゃんの広島弁で繰り出す毒舌w
それをクールにながめて、たまにツッコミを入れるのっちがたまらない。
この三幅対の絶妙なバランスについても僕はいつか話さずにはいられないだろう。