「国家」を真に愛することとは?
5日間ほど山に行ってました。自民党の総裁が安倍晋三に決まってました。タイでクーデターが起こってました。こんなニュースもありました。
入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を強制するのは憲法で保障された思想・良心の自由を侵害するとして、東京都立高の教職員ら約400人が都教育委員会を相手取り、起立や斉唱の義務が存在しないことの確認を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は「強制は違法、違憲」と判断し、起立や斉唱の義務がないことを確認したうえ、一人当たり3万円の慰謝料の支払いを命じる判決を言い渡した。
- [国旗・国歌訴訟]「認識も論理もおかしな地裁判決」 - 読売社説
- 東京地裁の判決要旨 国旗掲揚、国歌斉唱をめぐる訴訟 - 中国新聞
- 式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁 - asahi.com
- 国旗や国歌に敬意「法律以前の問題」 判決で小泉首相 - asahi.com
kk君も言うとおり、「天皇さまも『強制でないことが望ましい』と仰ってる」んだしw、まぁそれに論理的に考えても至極真っ当な判決だよね。
けどただ単に国旗や国歌に執着してる人たちを「バーカバーカ」って馬鹿にするだけで終わるような問題でもないんだよな。
大塚英志みたいに「国家に自分の誇りを託すなよ」とか言いたくなるけど、「国家」の磁場というか力はやっぱこの国でもまだ健在で、ちょっと油断するとあっさり引き込まれてしまいかねない。
というのも僕自身、不登校だった高校時代に友人から薦められて小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (2)』を読んだときに、不思議な高揚感を味わった経験があったから。まぁあの頃は何も知らないただのひきこもりだったから、とか今なら言い訳できるが、1ヶ月ぐらいは「プチよしりん」化していたのは事実だ*1。(だから、斎藤環だかが2ch周辺のネット右翼にはひきこもりが多いはずとか言ってたと思うが、それは非常によく分かる。徴兵とかすりゃけっこうヒッキーが集まると思う。)*2
こういう「国家」に対して強い高揚感を感じてしまう人たちが、「起立しろ」とか言い出しちゃうんだろうけど、やっぱ「公」の場でそういう「強制」みたいなことするのはいただけないな。そんなことしなくても日本は好きになれるし、愛せるよ。
つーかさ、やっぱあのやけに荘厳すぎる国歌が良くないんじゃないかなw他の国と明らかに違うじゃん、オリンピックなんかで見てると。なんかラクに歌えないんだよね、あれ。それがいいのかもしれないけどさ。
別に「国歌」に拘らないでさ、生徒の好きな曲とか、教師の好きな曲を歌っちゃえばいいと思うんだよね。そのときはやっぱ邦楽の方がベターかなw洋楽でもいいけど。
つまり、宮台真司が前にどっかで言ってたことと同じかな?「国家」に対する高揚感、あるいは脱社会的な方向へ向かうエネルギーをサブカルチャーで鎮めてしまおうぜっていう。
そのほうが日本を好きになったり、「国家」を愛することにつながるよ、絶対。
*関連
「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と表現の自由に基づき、宣誓に対して沈黙する権利を有する。」
「小泉首相の発言はまさに「基本的に無知」なのだということをさらけ出しているのだと思う」
以下、このエントリ↑に対する言及エントリ↓
「君が代を歌うことが違法」だという判決が出たのではなく、
「『君が代・日の丸は大日本帝国時代を感じさせて嫌だ』と感じている人に、それでも起立や斉唱を強制し、従わなければイヤガラセをすることは違憲」だという判決が出たのであると、指摘してあげてください。
ただ、ワタシ的にいうなら、国家・国旗みたいな問題は些細なこと(現実の人の生死に関わるわけではない)なので、ダルフール問題のような大きな問題(現実に少なく見積もって20万人が虐殺され、され続けている)に目を向けていくか、あるいはそういう個別の問題ではなく、海外の情報に触れることができるような情報の教育が若い世代には必要かなと思います。