「語り得ぬ事には沈黙せねばならないとわざわざ語ってくれた人はすごいな」 - 命令としての言語 - メモ

の続き。

 ヴィトゲンシュタインが、

 語りえぬところでは、沈黙せねばならぬ

というとき、記述的な言葉だけが考察されているようです。彼は別のところでは、記述的にみれば、数学者というものは何も言ってないに等しい、と書き留めています。
このことは作曲家に対しても当てはまるでしょう。もし作曲家が自分の作曲を通してもたらされる(すなわち作曲により制限されることなく実現される)一揃いのエクスタシーを、記述しようと(すなわち制限しようと)企てるならば、惨めな失敗に終わるでしょうし、それは必然的なことです。
ですが、だからといって、作曲家も数学者も、沈黙してはなりません。

―p88『形式の法則


「記述的にみれば、数学者というものは何も言ってないに等しい」ってのはこれのことかなぁ。

数学は計算であり、したがって本質的にいかなるものについても扱わない。
それゆえ、メタ数学は存在しない。

―「青色本」『全集』


『形式の法則』続き。

 ラッセルは、トラクタトゥス Tractatus[論考]という著作の序文で、ヴィトゲンシュタインによって述べられた先の命題の、正しさに関して、もっともな疑問だと思われることを表明しています(22頁)。

戸惑いを覚えさせるのは次の事実である、すなわち、結局のところヴィトゲンシュタイン氏は、語りえないことについて随分とたくさん語ろうと苦労しており、そうすることで、懐疑的な読み手に対して、おそらく言語の階層を貫く抜け穴か、さもなければ別の出口があるのではないか、ということを示唆してしまったのである。

その出口とは、今しがた見たように、言語の命令的な力能なのです。

―p88『形式の法則


ラッセルの疑問はヴィトゲンシュタインへのよくあるツッコミだね。

「そんなことわざわざ語るお前は何だよwww」ていう。


ちなみにタイトルは3ヶ月くらい前のtwitterでのid:wakutekaさんの発言より。

http://twitter.com/wakuteka/statuses/832881927

ふぁぼってたの掘り出した。


形式の法則

形式の法則