ケプラーの法則にみる科学的推論の本質
力学の発展史において、ニュートンの業績の華やかさに比べるとケプラーはどうしても見劣りしてしまうかもしれない。ニュートン力学はケプラーの法則をさらに一般化した形で説明することができる。ニュートン力学はケプラーの法則を内包し、さらに洗練された形式で太陽系の惑星の運動を記述することを可能にしたのである。
では、ケプラーは力学の歴史において、いなくてもいい存在なのだろうか。ケプラーがいなかったとしてもニュートンは力学の法則を打ち出すことができただろうか。
おそらく無理だったのではないか。物理学者の武谷三男は、科学の理論の進歩?発展には順序があると主張する。「武谷三段階論」と呼ばれるものがそれだ。三段階論は次の3つの段階からなる。
- 現象論的段階―「現象の記述、実験結果の記述が行われる。…ただ現象の知識を集める段階である。…ティコの段階」
- 実態論的段階―「現象が起こるべき実体的な構造を知り、この構造の知識によって現象の記述が整理されて法則性を得ることである。…ケプレル(引用者注:ケプラー)の段階」
- 本質論的段階―「認識はこの実体的段階を媒介として本質に深まる。これはさきにニュートンの例において示したように、諸実体の相互作用の法則の認識であり、この相互作用の下における実体の必然的な運動から現象の法則が媒介し説明しだされる。」 *1
武谷はここで惑星の運動についての科学理論の発展を例にとり、自然認識の論理的順序を明らかにしている。それぞれの段階に対応する業績はティコ?ブラーエの観測、ケプラーの法則、ニュートン力学である。
武谷はさらに次のように書いている。少し長いが重要な部分なので引用する。
「天体の引力に関してはその原因をデカルトやハイゲンス(引用者注:ホイヘンス)等がたとえばエーテルの渦動から説明しようとし、実りある結果には到達しなかった。これに反し、ニュートンは先ず現象論的にいかなる力が働くかをしらべることによって成果をおさめた。しかしこの記述の段階はそれを固定する時は形而上学に陥るのである。科学はあくまでその原因へと進む、すなわちより本質的な認識へと進むのである。これは場の理論によって行われた。ところが現象的な知識が十分でなくて直ちに、その原因を思惟するとき形而上学に陥るのである。一足とびに本質的認識には行かないのである。…」 *2
これは天動説などを例にとっても分かる。恒星の運動だけの記述で、地球が宇宙の中心であると直ちに思惟するのはまさに形而上学である。人類は長くこの固定観念に囚われていた。
形而上学に陥らずに、より本質へと向かう人間を「科学者」と呼ぶならば、地動説を唱えたコペルニクスとそれに賛同したケプラー、ガリレオ?ガリレイは優れた「科学者」であったといえる。
ケプラーのさらにすごいところは、「円運動」を宇宙秩序の絶対的な原理と考えていたケプラー以前および同時代の人々の宇宙観をも打破し、まったく斬新な「楕円軌道仮説」に思い至ったところにある。
N?Rハンソンはケプラーの発見について、次のように述べている。
「実際にはこれほど大胆な想像力の行使が必要であったときはほかにあるまい。ケプラーは、当時のあらゆる天文学上の思考の<パターンを覆す>ことをやってのけたのであった。自然科学が体験した二十世紀の概念革命でさえ、これほど過去との断絶は必要でなかった。ちょうど現在のわれわれにとって<触知し得るもの>ということが物理的対象にとって絶対的であるのと同じように、円運動は惑星という概念にとって絶対的であった。われわれにとって<触知し得ない>対象というものが考え得られないというなら、ケプラー以前および同時代の人びとにとって、円でない惑星の軌道などというものは考え得られなかったのである。ティコも、ガリレオさえも、この鉄則を破り得なかったことに留意してほしい」*3
いささか大げさに聞こえるが、ケプラーの偉大さがよく伝わるだろう。
アメリカの論理学者?科学哲学者のチャールズ?パースは科学論理的思考には演繹と帰納のほかに、かれが「アブダクション」(abduction)または「リトロダクション」(retroduction)と呼ぶ、もう一つの顕著な思考の方法または様式が存在し、そしてとくに科学的発見?創造的思考においてはそのアブダクション(またはリトロダクション)がもっとも重要な役割を果たす、と唱えている。アブダクションとは仮説を形成する思考の方法を意味し、パースはしばしばアブダクションをたんに「仮説」(hypothesis)とも呼んでいる。
アブダクションの別名として、パースがしばしば使っている「リトロダクション」(retoroduction)という言葉は「遡及推論」を意味している。それはつまり結果から原因への遡及推論であり、あるいは観察データからその観察データを説明しうると考えられる法則や理論への遡及推論を意味している。
ケプラーの推論はまさにそういう遡及推論といえる。ケプラーは惑星の運動に関する観察結果から、その観察結果をもたらした惑星の運動へと遡及推論を行ったのである。つまり、ティコ?ブラーエの観察結果を正しいとしたうえで、それらの観察結果を説明しうるように考えようとすると、惑星はどのように運動していなくてはならないか、観察結果に合うような惑星の運動とはどういうものでなくてはならないか、というふうに遡及推論を行ったのだ。その遡及推論の過程においてケプラーは観察データにしたがって惑星の軌道のいろいろな形(卵円形など)を考え、なんども仮説を立て直すという思索を重ねるなかで、しだいに一様な円運動という神聖にして冒すべからざる鉄則に疑問を抱くようになり、ついにこの鉄則を打ち破ったのだ。このケプラーの思索と推論の過程と、一様な円運動という鉄則にそれこそ形而上学的に囚われ、それとつじつまが合うように観察データを解釈せざるをえなかったブラーエの考え方との重要な違いをみれば、ハンソンが上のようにケプラーの発見を讃える理由がわかるだろう。
パース自身もケプラーの周到な施策と推論について論じたあとで、「これはいまだかつて行われたことのない遡及的推論のもっとも偉大な成果である」と述べている。
科学的な推論は演繹と帰納からのみ成り立つのではない。
C?ヘンペルは次のように述べている。
「…それによって仮説や理論が経験的データから機械的に導出しうるあるいは推論しうるような<帰納の規則>というものは存在しない。データから理論にいたるには創造的想像力が必要である。科学的仮説や理論は、観察された事実から導かれるのではなく、観察された事実を説明するために発明されるものである。」 *4
アインシュタインも次のように述べている。
「物理の基礎概念へと導いてくれる帰納的な方法などは存在しない。…間違っているのは、理論が経験から帰納的に出てくると信じている理論家たちである。」 *5
ヘンペルもアインシュタインも、このように科学的仮説や理論の発見は帰納によって行われるものではないと考え、特にヘンペルはそこで「創造的想像力」が必要とされると述べている。
ケプラーの法則の発見においても、このような「創造的想像力」の最たるものが用いられたと考えていいだろう。
ケプラーは決してニュートンに劣る科学者ではない。それどころか、科学の発展史にその名を刻む、偉大な「科学者」の一人なのである。
- 参考URL
- 「武谷三段階論と脚気の歴史」
http://homepage3.nifty.com/mamoruitou/sanndannkai.html
-
- 「科学における武谷三段階論と機能主義 ? 数学屋のメガネ」
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20070703/1183423812
-
- 「武谷三段階論における「本質」 ? 数学屋のメガネ」
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20070311/1173625563
- 参考文献
- 作者: 武谷三男
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1968
- メディア: ?
- 購入: 1人 クリック: 9回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
- 作者: 米盛裕二
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2007/09/20
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 76回
- この商品を含むブログ (29件) を見る