「女性アイドルイベントの敷居が高いと感じる女性ファン」―女性が女性アイドルを好きになる「後ろめたさ」を解読(解毒)する

いつものようにナタリーさんからPerfumeについてのニュースが届きました。
友人からのメールよりナタリーさんから届くメールの方が多い気がする今日この頃ですw

彼女たちにとって初となる完全女子限定イベント。ライブに参加してみたいと思いつつこれまでアイドルのイベントということで敷居が高く感じていた女性ファンにとって、今回の企画は嬉しいニュースといえそうだ。

この動きは面白いと思いました。
なぜならちょうど僕は例の「モーニング娘。学会」の「休憩室」において次のような記事を初投稿していたからです。

彼女たち女性ファンは下手すると男性ファンよりも、下手すると疎外されてるのではないか。

しょこたんには女性ファンが多いと聞きます。
それは彼女が雑誌モデルでもあるという立ち位置があるから可能なことなのかもしれませんが、それだけでもないような気がしています。

しょこたんは女性がアイドルを好きになる上で安心して好きになれる要素を持っているような気がします。
そしてそこに「女性アイドルの女性ファン」の「後ろめたさ」が「ジェンダー」と絡めて見えてくる気がします。

そして1日も経たない内にid:ealことエレンさんがid:nancyことナンシーさんを召喚して下さったのです。エレンさん、ナンシーさんありがとうございます。

そしてさっそくナンシーさんが単刀直入な質問をしてくださいました。

ちょっといきなりですが、単刀直入にお伺いします。女ヲタってどうなんでしょうか?コンサートなどに行くと、どう思われてるのかなーと思ったりするんですけど、先日の夏ハロSSAに行ったら、「女子供用のグッズ売り場に一緒に並んでもらえませんか」と声かけられました。いや、別にいいんですけど。

ナンシーさんは男ヲタから見た女ヲタはどう見られているのかが気になっているそうですが、
僕自身は、

「夢中になるキモチはおんなじ!」(ハッピー☆彡/月島きらりstarring久住小春)

と思うので特別違和感は感じませんが、僕としては女ヲタがどのように一般社会と折り合っているのかが気になるところです。

「女性アイドルの女性ファン」(以下、ナンシーさんに合わせ「女ヲタ」と記述)についてはPerfumeの女性ファンからも具体的な形で言葉にされてます。

誰しもアイドルを好きになるのには少なからず抵抗があるんでないかと思う。Perfume好きになって「アイドルが好きになるなんて…」て思った方は結構多いんじゃなかろうか。かなりステレオタイプだけども、なんとなくみんなの頭の中に「アイドルが好き=オタクっぽい」(注:実際はわかりません)というイメージがあるのではないのかなぁ。アイドル好きがオタクだなんて確証はまったくないし、Perfumeは女性だけどじゃあ男性アイドル好きはどうなのよって話になるんですが、あくまでもイメージ。なもので「アイドル」と呼ばれているだけで、なんとなく情報をシャットダウンしてしまう人は多いと思います。(注は挿入)

僕がこの件について考えるきっかけになったのはある女ヲタの次の言葉です。

「大学の友達とカラオケに行っても「Perfume」とか「モモーイ」が歌えない…」


僕はそれを聞いて女性がカラオケで「アイドルっぽい曲」を歌うことはかなり敷居が高いのではないかと思いました。
それは上のナンシーさんへの質問への回答でid:Imanuさんが指摘するように、

これは「可愛らしいこと」=「男に媚びを売ること」という変な等式が
前提にあるから、女性にとっては「癇に障ること」と捉えられやすいのかもしれない

という仮説も当てはまるかもしれません。

ただ、それだけでは大塚愛がOKで「アイドル」がダメなのかが説明できません。

僕が以前述べた仮説である「アイドル」の運動の一側面を見逃してしまっています。


「アイドル」はどういう運動が行われているか。


例えばコンビニに行けば女性ファッション誌が売られている、

しかも最近はヒモでくくられてまでいる。(ヒモついてんのって前からだっけ?)
最近のCanCanなどの女性ファッション誌の動向はエビちゃん以外は全く知らないが、僕が知っていた当時はエビちゃんを頂点とする女性美のヒエラルキーが形成されていたように見えた。
僕はエビちゃんは苦手だ。彼女は人工的過ぎて怖い。本当に人間じゃないんじゃないかと思う。
Perfumeの方が人工的じゃないかと思われるかもしれないが、彼女たちのライブ、握手会に行けばわかるが、Perfumeにはライブと広島弁のコミュニケーションとの落差、ズレがある。そのズレが彼女たちを「アイドル」たらしめているものでもある。

「アイドル」というのはある種そういった「エビちゃん」的な美のヒエラルキーを解毒する「カウンターカルチャー」として機能していると僕は考えている。
そう「美」はときに「毒」になりうる。
ファッションショーはそうした「美」の運動の一側面だ。

それに対して「アイドル」は存在する。id:meeeresさんがいみじくも指摘しているように「アイドル」は「ヴィジュアル」とはほぼ無関係な運動を形成している。

私はPerfumeはけっこうヴィジュアルで損してると思う。

曲を聞けばそんなのは一掃される気がするけど、いくら音がよくても「アイドル」というイメージを払拭するまでにはなかなか至らないのではないかなぁ。見てのとおりあのキャラとビジュアルだし、本人たちもアイドルっぷりを楽しんでいるように見える。今ではアイドルじゃないなぁと思っている私も当初は「この子らがアイドルだったなんて…」とショックで、未だにアイドルポップな曲は慣れません。

女性アイドルの女性ファン - notieren


しかし、ここで問わねばならない。
女性美にとって「ヴィジュアル」がそんなに特権的なのか、と。


「アイドル」の存在がその問いを示している。


id:Imanuさんがナンシー関のアイドルに関する秀逸な言葉を記録している。

アイドルというのは、歌がうまくてかわいくてなどという素材の問題ではないと思う。
素材と客との関係性において発生する「状態」のようなものだ。
たとえ歌ってくれなくても笑ってくれなくても、
存在してくれていることにカネを払おう、という客こそが「アイドル」の根拠ではないのか。
本当のアイドルは何もしなくていい。でも歌(CD)や写真集を出すのは、
支払い先のない客の消費行動の受け皿をつくるためだと思う。

聞く猿

聞く猿

(因みにこれは華原朋美について書いている文章中に出てくる)


ここでやっと「女性アイドルの女性ファン」「女ヲタ」の「後ろめたさ」が説明できるだろう。

女ヲタは世間一般の女性ファッション誌的美のヒエラルキーに抵抗している。

彼女たちが一般社会、大学の友達とのカラオケで「アイドル」を口にするのが拒まれるのはそれが世間一般の美意識と「ズレ」ているからである。id:meeersさんがおっしゃった、

「アイドルが好き=オタクっぽい」(注:実際はわかりません)

という等式も、世間一般から「オタク」は「空気が読めない」「ズレ」た人、と思われると感じるからと考えられる。

女性自身が世間一般の女性美の力学に抵抗すること、ここから「後ろめたさ」が生まれる。


しかし、世間一般の女性美など誰が決めたのだろう?

インターネットがある今、世間一般、多数派の美など皆無に等しい。

私たちは私たちがそれぞれ求める「美」を求めればよい。


僕が言うようなことでもないが、ヴィレッジヴァンガード下北沢店で開催されるPerfumeのインストアライブが「女性アイドルの女性ファン」たちのステキな祝祭空間になることを祈っています。


Perfumeではないですが次の楽曲を貼ってこの記事を閉じることにします。


ハッピー☆彡 (初回限定盤)アタシの趣味 みんなの趣味

スキなことは 違っていても

夢中になるキモチは おんなじ!

ハッピー!!ピンクのパワー楽しくなれる 大好きな色 ずっと!

ハッピー!!今さらだけど 女の子にね 生まれて 正解!!


(ハッピー☆彡/月島きらりstarring久住小春)