『新・批評の事情』と内田樹の格差社会発言関連まとめ―智の配分/富の配分について

新・批評の事情―不良のための論壇案内新・批評の事情―不良のための論壇案内』に萱野稔人が入らなかったのはニアミスだったんだろうなぁ。
酒井隆史とか矢部史郎と山の手緑らの『VOL』系論客が入っていながら、彼が入ってないのは惜しい。
何しろ一番始めに内田樹とか「ぬるい議論」(id:lelele)の<安全地帯からの駄文>(葉っぱさん)、「”オメデタイ”言説」(萱野)を量産する「叔父さん的」存在を最初に持ってくるぐらいなら、

「カネ」と「権力」、「利権」と「国家」から「労働」を捉えなおし、

『国家とはなにか』「暴力」から「国家」を考えなおすヤツも入っていた方が100倍面白くなっただろう。永田氏の慧眼がこの「新鋭」を見落としたのが残念でならない。

杉田俊介雨宮処凛赤木智弘が入らないのは分量とか色々あるから仕方ない…つーか入らないか。
まぁ「批評」について僕の視野が狭すぎるってのもあるんだろうけど。
それにしても永田朗の視野の広さには驚きだね。
知ってるだろうけど菊池成孔も入ってるよ>id:kingworld

新・批評の事情―不良のための論壇案内

新・批評の事情―不良のための論壇案内


というわけで内田樹のわるぐちを今さらながら言いたかった日記ですよーだ。

参考と長い補記。

私はシュシャーニ師のような人に生活できる程度の年金が支払われる社会を実現することよりも、師のような人が十分な知的敬意を以て遇される社会を実現することの方が、ずっと大切ではないかと思う。

格差社会って何だろう - 内田樹の研究室

「知的敬意を以て遇される」べきなのは、
社会の現状に気付くことができる程度に、知性ある人です

 堀江貴文は知的敬意を以て遇されるべきです。
 神足裕司は知的敬意を以て遇されるべきです。
 内田樹は知的敬意を以て遇されるべきではありません。

深夜のシマネコBlog: 内田樹はまだ現実に気付かないのでした

ホリエモンに知性は感じられねーなぁww知的敬意も糞もないねw
賛否両論あるだろうけど、僕は彼に敬意はないですね。
むしろ問題は知性=「智の配分」とカネ=「富の配分」が離れてしまった、という現状にもあるわけですよ。以下メモ。

東(東浩紀):…実際にいま起きているのは富の配分と智の配分の乖離です。簡単なイメージはこうです……昔であれば映画をたくさん観るには映画館に通い詰めなくてはなりませんでしたが、いまではレンタルビデオがある。あるいはWinnyがある。まったく金銭的余裕がなくても、いくらでも智が蓄えられるような社会になったわけです。

 こうした結果、金もない、職業もないフリーターが、実はすごく物知りでいろいろなことを考えていたりする、そういう社会になった(この点で最近の階層化社会論には補うべき点があります)。他方、一線で活躍しているビジネスマンは本を読む時間がないし、映画を見に行く時間もないわけです。実はあまり智を持っていなかったりする。つまり、富の配分と智の配分が乖離しているわけです。なぜこうなったのか。答えは簡単です。かつて富の配分と智の配分が連動していたのは、情報財のコストが高かったからです。情報技術革命は情報財の再生産コストが極限まで下げた。それを我々は言祝いでいる。しかしその結果、富の配分と智の配分は必然的に乖離します。ではどうするのか。

9. 設計研第6回:共同討議第2部(1) - ised議事録 - ised@glocom

東:…僕がいいたかったのは、智を富に変えることではなくて、智そのものの配分と富そのものの配分のリンクです。いまは智が集まっている人と富が集まっている人がバラバラに存在している。近代社会では智が集まっている人と富が集まっている人は階層としてリンクしていた。いいかえれば、象徴資本と経済資本は結びついていた*1。
鈴木(鈴木健):乖離しているというのは現状分析であって、それは問題ではないわけですよね。
東:いや、問題なんです。
鈴木:つまり、富を持っている人が智を持っていて、智を持っている人が富を持っているほうがいい、と東さんは考えている
東:そうです。なぜかといえば、社会を変えることを考えると、それが決定的な要素になるからです。きわめて素朴な話をしますが、社会を変えるためには、基本的にお金が必要です。しかし我々の社会では、智の配分と富の配分が乖離しているので、社会を変える能力を持っている人に智が集まらない。その逆も言える。
鈴木:哲人政治ではなく、哲人経済というわけですね。智を持っている人が経済的に強いパワーを持っているほうが、社会はうまくいくのではないかということですね。
東:人間社会はいままでそうしてきたと思います。
近藤(近藤淳也id:jkondo):しかし、それは相対的に智が富を持たないというだけで、絶対的な富を持っている人の智の量は変わっていないのではないでしょうか。要するに、情報技術によって公共的に智が共有されるようになったんだと思うんです。
東:どうでしょうか。僕は必ずしもそう思わないですね。

10. 設計研第6回:共同討議第2部(2) - ised議事録 - ised@glocom

…ある共同体の中でうまい具合に富を再配分する方法はいくらでも考えつくけれども、問題の境界が不確定なときには再配分という発想そのものがは機能しない。同じことが智の配分についてもいえるのではないか。
…僕がこのロールズ/シンガーの例で言いたかったのは、
再配分という思想は根本的に共同体を前提とするということです。

http://ised.glocom.jp/keyword/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA

ここらへんでかやのんと接続しそうな気もするけど、東は違う方向を目指してるようにも見えるね。


他の参考

…(だいぶ省略)…気高い個人の連帯はツールによって容易になったと思う。そして鑑賞系の嗜みがある人間にとって21世紀は間違いなくめちゃめちゃおいしい時代。貧乏でもタダでいろいろ鑑賞できるし交流だってできるしね。ブログも書けるし。
デジタルとインターネットに親和的な趣味を持つ人は、結構幸せに高潔に生きていけるんじゃないかと思う
でも趣味も教養も無くて口開けてテレビ観てる奴にとっては悲惨な時代かもね。コンビニと不利なフランチャイズ契約する前に「コンビニ フランチャイズ」でGoogle検索するか否かが人生を大きく分けるからね。
調べりゃすぐわかるのに、調べない人には一生わからない。本当の格差のポイントはここなんだよ。情報があれば情報が無い者を狩れるわけだし、自分の頭で考えて動ける者には有利な時代だと想うけどね。口開けて待ってる奴には厳しい時代だけどね

はてなグループ

ちょっと検索をかけると、あちこちでハンクラの基礎的知識や型紙、いろいろな作り方などが見つかる。ネットのない昔は、なにかやってみたいと思うと、知っている人に直接習うか、独学なら本屋で入門書を探すしかなかった。今は本当にいい時代だ

ネットよありがとう。と手芸をしてると思う。 - 深く考えないで捨てるように書く、また


最後にもう一丁

はてなスターTシャツ欲しい!
と思ったらもう終わってんじゃん。
はてなスターTシャツは別に欲しくないっ!」