はてなスターがよくわからない
はてなスターでは基本的に他人を褒めることしかできません。
あなたのいいなと思った気持ちを☆に変えて、世界のブログに☆をつけよう!
うまくつかめない。はてなの真意がつかめない。
ということで大御所先生たちの話を聞いてみた。
- はてなスターは「ゆるい評価」を目的にしたシステムではないのか。「いくつでも☆」はそういうことではないのか
- それは「ゆるいつながり」を作る助けになるのではないか
- 「ゆるいつながり」こそが、ネットに必要なのではないか
…
「はてなスター不要というユーザーよ、はてなを去れ」とjkondoは言った - シナトラ千代子
はてなブックマークが結果としてなんかギスギスした雰囲気をもたらした部分もあり、また「ガチな評価システム」となってるところから、ちょっと離れたものを作ろうということじゃないかと。でも基本的に「発信すること=評価されること」、これがはてなの考えるブログ世界ですよ、みたいな。ただこれは「発信しないひと=プライベートモードへ、そうでなければよそへ」にも見える。(赤字は引用者)
相変わらず図が秀逸でわかった気になってしまう。
はてなスターは、とりあえず、何をするサービスなのかわかりにくいことが一番面白い所だと思う。何なのかわからないので、しばらくの間、これを読み解く記事でブログ界がにぎわうことになるだろう。
なるほどこれは
「君にこの謎は解けるかな?考えてみたまえ!はてな市民たちよ!」
っていうid:jkondoの挑戦状なのか!
→解けません→ヒント
それで私も頭をひねって考えてみたのだけど、はてなスターは認証系プラットフォームと見るべきではないかと私は思う。
その意味は、難しいことを言うより、ブログ以外のサービスに星がついている様子を想像すればわかってくる。つまり、YouTubeや2ちゃんねるの個々のアイテムに星がついていることを想像するのだ。
想像してみたが2ちゃんは無理。
IDを持った人同士が、互いに拍手しあうことで、ゆるく揮発性の高い友達関係を、はてなスターというプラットフォームの上に構築することになる。これは容易に想像できるように、SNS的なコミュニティに発展していく可能性がある。(赤太字は引用者)
はてなスターとはてなメッセージはEメールを駆逐する - アンカテ
どうやら「ゆるさ」がキーワードのようだ。
しかし「SNS的なコミュニティに発展」するかは疑問。
「mixi疲れ」とかいう話もあったけど、いわゆるSNSにはそういう「ゆるさ」がむしろ足りなかったんじゃないかなぁ。「揮発性の高い友達関係」かぁ…
そういえば僕は前に「はてなは元々SNSだったんじゃね?」みたいなことを書いたことがあった。
僕から見るとはてなは元々すでにSNS的だったと思うんだけど…。
■はてなスター/はてなメッセージは一見記事単位のように見えて、実際にはユーザー単位のシステムというのが面白い
はてなスターは、はてなブックマークのように記事単位をベースに動いているように見えるが、よく見ていくとユーザー単位の部分が多い。
まず、favorite画面が各ユーザーのブログの更新チェッカーとなっている。てっきりfavorite画面は、星をつけた記事に簡単にアクセスできるようにするためのものだと思っていたので、ちょっと驚いた。
…
次に、はてなメッセージはお互いfavしてないとメッセージを送れない仕様で、これもユーザー単位の考えだ。余談だが、この仕様はTwitterに似てる。最初、Twitterでメッセージがお互いfavの関係でないと送れないというのを知った時、メッセージに関しては、SNSよりも実は閉鎖的?なんて思った。
さすがカノセ先生なんかもう使いこなしてる感じだぜ!Twitterも使ってない俺には何言ってるかさっぱりわからねぇ!
やっぱTwitterでも使ってないとこのウェブ社会ってやつに乗り遅れちまうようだ!明日にでも使ってみます。
特に面白いと思ったのは時限設定。SNSのような人間関係をWebサービスで表現する際、繋がりを可視化することはできても、疎遠になることを表現するのは難しいかなあと思っていたが、そこをばっさり「一ヶ月星をつけなければ関係が切れる」としたのは面白い。mixiでも、たまに「長期間、日記にコメントをつけない、メッセージを送らない人とはマイミクが切れるようにして欲しい」という要望を見かけるが、その機能を率先して装備していることになる。(赤字は引用者)
はてなスター/はてなメッセージは一見記事単位のように見えて、実際にはユーザー単位のシステムというのが面白い - ARTIFACT@ハテナ系
ほう、mixiは一時期使ってた(る)ので想像ができます。
なるほどウェブ、主にSNSとかはてブのお気に入りみたいな「無時間」のような繋がり社会に、リアルのような「時間」の繋がりを持ち込んでいるのですね。
そうかアンカテ先生が「揮発性の高い友達関係」と表現したのはそこか!
お、これは濱野先生の「情報環境研究ノート」のあれと繋がるんじゃないかい。
■Twitterについて:「同期的/非同期的」という分析軸(2-1)
http://wiredvision.jp/blog/hamano/200705/200705310842.php
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Twitterの魅力あるいは新規性は、ブログやSNSに比べれば「同期的」であるのに対し、IMに比べれば「非同期的」な点にある――ARTIFACTの加野瀬氏の言葉を借りれば、「Twiiterは同期と非同期の狭間にあるツール」(ARTIFACT)――としばしば説明されます。それはざっと次のようなことを意味しています:
・ブログやSNSに比べて、「現在のステータスを共有する」というコンセプトで設計されたTwitterは、発信側と受信側のタイムラグが少ない(=より同期的な)特性を持っています。…
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・とはいえTwitterは、「自分が好きなタイミングで自分の現在のステータスを投稿する」という、あくまで「非同期的」なツールでもあります。「同期的」なコミュニケーション・ツールであるIMやチャットでは、コミュニケーションに参加する主体が同じ時間を共有するため、会話中の「沈黙」は気まずいものとして回避され、常に何かしらの「相槌」を打つ必要に迫られます。それはしばしば圧迫感やストレスや鬱陶しさを与えますが、Twitterはそうした同期的コミュニケーションのもたらす心理的負担を免除してくれるわけです(こうした緊張感の薄さが、しばしば指摘されるTwitterの「ユルさ」に繋がっています)。
ここでも出た!「ユルさ」!
■(注:ニコニコ動画と)Twitterとの共通点:客観的には非同期的なコミュニケーションを、主観的には同期的なそれに変換すること(2-2)
http://wiredvision.jp/blog/hamano/200706/200706070951.php
ニコニコ動画は、動画の再生タイムラインという「共通の定規」を用いて、《主観的》な各ユーザーの動画視聴体験をシンクロナイズすることで、あたかも同じ「現在」を共有しているかのような錯覚をユーザーに与えることができるわけです。
■6-1:情報環境研究のキーワード「繋がりの社会性」
http://wiredvision.jp/blog/hamano/200707/200707051000.php
Twitterとニコニコ動画というアーキテクチャの特性もまた、以上に述べたことの延長線上で理解することができます。「擬似同期性」を特徴とする両アーキテクチャには、実際には非同期的に行われている各ユーザーの発話行為(コメント)を、同期的なコミュニケーションとして体験させる(錯覚させる)という設計が施されています。その設計の主眼は、コミュニケーションの《内容》レベルではなく、コミュニケーションが成立している――同じコミュニケーションの「現在」あるいは「場」を共有している――という《事実》を強固なものにすることに置かれていることは明らかです。
ニコニコ動画のケースが興味深いのは、通常CMCのオープン性を制限するためには、mixiに代表されるように、ユーザー認証によってアクセス可能な範囲を囲い込むという「空間的」手法が採られるのに対し、ニコニコ動画では「時間的」な制約手法を採用しているという点にあるといえるでしょう(現在ニコニコ動画は会員限定のクローズド・サービスでもあるので、実際には「空間的」な制約もかかっているのですが)。(赤字は全て引用者)
http://wiredvision.jp/blog/hamano/200707/200707121808.php
これらの観点からはて☆すたを見てみるとどうなんだろう…。
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食事しながら考え中……もぐもぐ
(追記)解決編はこちら!→はてなスターの謎―解決編