脱ケータイ人間を目指して
最近メールの返信が遅かったりすると不安になったり、頻繁にケータイを見る癖がついてしまっている程にケータイ人間化してしまっているyuです、ちょっと末期です。
先日久々に会った友人を見ててケータイに縛られない自由さにうらやましくなりました。
ケータイは一日に2回チェックするかしないかでずっとカバンの中に入れっぱなし、返信は必要最低限しかしない。うちの姉貴もそんな感じだからそういう人間がいるのは知っていたけど自分より年下の人間で、しかも女の子でそういう人を見るのは初めてだったからちょっとした驚きだった。
趣味に没頭するタイプのようで休日は家で一日中ビデオを見て過ごすのが好き。いわゆる典型的な「ひきこもり系」。自分も昔はそんなタイプだったはずなのだが、大学に入ってからというものケータイ無しでは生きられないような身体になってしまっていることに気づいた。
そういえば先日のICCのシンポでも「存在論的メディア論―ハイデガーとヴィリリオ」の和田伸一郎がケータイについて話してたっけ。彼はケータイがかなり嫌いみたいでしたね。ケータイの電波が届かない場をあえて作ろうとかなんとか言って他のパネラーや観客の失笑を買ってました(笑)
けど和田氏の言ってることにも僕はなんとなく共感できて、つまり現代の私たちはあらゆる人間関係から「引っ張り」を常時受け続けている状態にいて*1、そういう「引っ張り」の中で私たちはそれぞれ個々のアイデンティティを確認しているとも言えるんだけど、「それって実は不自由なんじゃないか?」ていう疑問を和田氏は持っているようだった。「交通」とか「結集」とかのキーワードを使ってそこらへんを話してた。
閑話休題、脱ケータイの方法を色々考えてみた。今日からでも少しづつ実践してみようかと思う。
- ケータイを全く鳴らないようにする。振動すらしないようにする。
- そういや浪人時代もそういう設定にしてた。光ったりはする。
- ケータイのお気に入りに入ってた某SNSを消した。
- 毎回ケータイを見てた原因の一つ。
- 時計を腕につけるようにする。
- ケータイが時計代わりだったために毎回時刻を確かめるたびに見る羽目になっていた。
- なるだけカバンの中に入れとくようにする。
- ポケットの中だとすぐ取り出せてしまう。
- ポケットには代わりに文庫本でも入れておこう、ちょっと賢くなった気分になれるはずだ。
- ポケットの中だとすぐ取り出せてしまう。
またなんか思いついたら実践していこうと思う。僕もまたコミュニケーションに毒された人間になっていた気がする。今日からちょっと引きこもっちゃうぞ。連絡つかなかったりして色々迷惑かけたりするかもしれませんがご了承ください。
*1:この「引っ張り」てのはどっかの哲学者の用語だったと思う