「ポストモダンと情報社会」第2回・東浩紀

この講義のノートがどうやら需要があるようなので色々書いてみようかと思ったがもうすでに書いてる方がいらっしゃるし、めんどくなったのでやめた。下の方で雑談とか小話で面白かった話を書こうと思います。
講義内容はここを見るといいよ→http://d.hatena.ne.jp/nitar/20061023
何も書かないのもなんなのできったねぇノートをそのままアップしてやることにした。
ホントに汚くてごめんなさい。雰囲気掴めるし分かる人には分かるはず。興味ある人どうぞ。

気が向いたら次回もアップします。とりあえず読める字で書くようにするか…。
講義内容は「動物化するポストモダンとその後」のDVDとだいたい同じものです。
今回はポストモダン概論ということで主要な人物紹介といったところでしょうか。


講義のような場でしか聴けないような雑談、小話で面白かったものは3つあったように思います。


1つ目は、フロイト精神分析が「流水学的」なモデルをとっているという話。
僕は「流水学的」というより「熱力学的」といった方が近いような気がするのだが、まぁどっちも「流体力学」に含まれるし、同じようなもんか。この話題に関しては以前僕もどっかのエントリで書いた*1フロイトは人間の精神を割と「解剖学的」に捉えていて、人間を抑圧している対象を「解剖学的」に特定できると考えていた節があったらしい。
そういう物理的なモデルや解剖学的なモデルを使って人間の精神を考えようと試みたのは何故なのかと問われれば、確かに不思議な話ではある。*2


2つ目は、現代思想によく出てくる「大文字」という修辞語についての話。
確かにこれは日本人にとって分かりにくい言葉だと思う。東浩紀も「大文字」だから何なんだよと昔思ったそうです。やっぱそうだよな、僕も正直よく分からなかった。ローマ字で「大文字」というと「唯一しかない」とかそんな意味合いがあるそうです。文の最初の一文字だけは「大文字」、みたいな。
日本語でいうと何なんだろ、「漢字」とかかな?日本の学問だと重要な概念は「漢字」で表したがったりするよね。「共同主観的存在構造」とか、ちょっと違うか。ごめん「共同主観的〜」て言ってみたかっただけです。


3つ目は、フーコーのゲイの話題に関連して出てきた近代とポストモダンでの「性―セクシュアリティ」に関する人々の意識の違いと変化の話。
ここらへんの話題は東氏も色々考えてるらしいが、かなり複雑なので誰か他の方がちゃんと調べて何か書いて欲しいとか言ってた。
どういう話かというと、近代の社会においては「ホモセクシュアリティ」が抑圧されていたがポストモダンの社会では割と寛容に受け入れられている、しかしポストモダンにおいて「児童への性行為」つまり「ペドファイル」や「性的暴力」あるいは「DV」に対して厳しい目を向けられるのはなぜか、ということ。
東氏は次のように考えているという。セクシュアリティに関して近代は「異性愛」が中心であったが、ポストモダンにおいては「性の自己決定」が中心になる方向へとシフトしてきているからだと。つまりこんな感じ↓

    近代: 異性愛
         ↓
ポストモダン: 性の自己決定〜ホモはOK、けど児童への性行為や暴力はダメ

いい大人が自己決定により「ホモ」「ゲイ」を選択するのは構わない。ただし、まだ自己決定能力のない子供に性的行為をすることや、自己決定の介在しない性的暴力は許されない。ポストモダンではそんな社会になってきている。
ただ、それでは「少子化」の問題がますます深刻になっていくことが考えられる。「ゲイとかレズビアンとかオタクとか」*3が増えたらそうなるのは目に見えてる。だからそのうち揺り戻しみたいなのが来るんじゃないかみたいなことを言ってたような気もするししてなかった気もする。


最後、ポストモダンの思想にとって重要なのは、60年代〜70年代に起こった「フランス現代思想」の流れとアメリカにおける「脱工業社会」「知識社会」「情報社会」の流れがアメリカにおいて出会ったことだって話をしてたけど、これは東氏がけっこう前から言ってることだね。「郵便的不安たち# (朝日文庫)」のp29「ポストモダン再考―棲み分ける批評2」とかに詳しく書いてあります。
そんなとこかな。

あ、そういえば講義で紹介されてたドゥルーズ×ガタリの「アンチ・オイディプス」は新訳で最近文庫化されました↓

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

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お買い求めやすいお得な値段になりましたよ、サイズも小さいし。興味ある方はどうぞ。


そういえばこの講義を一般の東工大の学生はどんな風に聴いてるのかが非常に気になる。
僕は前から本読んだりしてるから、あーあの話かーとか思うところがあるのだが、そんな予備知識の無い学生はあの割と密度が高かったりする講義(しかもけっこう早口でどんどん進められる)を聴いてどう感じるのか。
たとえば、アルチュセール宮台真司みたいなもんですって言われて、まずその宮台真司が分かってる人ってどれくらいいるのか。さすがにみんな知ってるか。いやあんま知らないだろ、あそこの学生は。図書館に宮台の本ぜんぜん置いてないし、なぜか大澤真幸はけっこうあるけど。*4
まぁそういう文化的なギャップはしょうがないけど。だから今回はいい「啓蒙」というか「誘惑」の機会なんだろうな。こんな面白い世界もあるぜ、みたいな。「誘惑」に関しては斎藤環からお墨付きがある東氏ですからきっとあの中からもこういう話にハマってしまう人が出てくるんでしょう。
そういや今回2chの話しなかったな。



そういや2コマの高橋世織が風邪ひいてましたw
けど風邪ひいてあのレベルだからすごいよなぁ。
今日はチャップリンの映画見た、「犬の生活」。あんまちゃんと見たことなかったけどすごいね。一番驚きだったのが教室が笑いに包まれたこと。遠い時代を超えて、言葉なんか無くても通じるものがあることに素直に感動してしまった。
あと「映像の背後には必ず文字がある」という話を聴いて「ぱにぽにだっしゅ!」の黒板ネタを思い出してしまったw「ネギま!?」でもやってるらしいね、新房昭之(ごめんまだ見てない)。今、新房昭之Wikipedia見たけど熱いな。

新房が『月詠 -MOON PHASE-』や『ぱにぽにだっしゅ!』などの作品の中で行う「画面を埋め尽くさんばかりの小ネタ」は(作画の雰囲気を原作と大いに異にしていることもあり)原作作品をも「ネタの一つ」でしかないように感じさせるものとして彼の手腕を疑問視する声もある。これは「原作をアニメ化して、原作の知名度を上げる」ことに対する、一種のポストモダニズム的な解釈でもある。

誰が書いてんだろ。


猪瀬直樹の講義はガン寝してた。ごめん眠かった。

なるほど講義ノートってこうとるのか。今まで僕はどう勉強してきたのか。参考にします。けど復習とかほとんどやんないからな。いや全くやらないか。

*1:「そういえばフロイトって人は人間の内に潜む欲望をエネルギー的に捉えていたわけだけど、その発想ができるには科学における熱力学の発見と進展とか関係あるのだろうかとか妄想。」http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20060901/kankei

*2:そういえばエディプス・コンプレックスを「要するにお母さんとセックスしたいってことね」と説明してたのはなんかすごいと思ったwあんな直截に説明する人初めて見たよ、大学の講義で。たしかに「父を殺し、母を寝取る」じゃ伝わらないものがあるもんなぁ。ああいう直截な言葉に感じる違和感がまさにエディプスの証左なんだよね、たぶん。

*3:3つは仲間なんだね、なるほど。ここでも言及されてた→http://d.hatena.ne.jp/inovel/20061023#1161604081

*4:あと「インターコミュニケーション」が図書館に置いてないのも困る、雑誌コーナーに置いといてよ。今度直談判するか。