「仰げば尊し」を強制される事について、どう思われますか?

学校等において、「仰げば尊し」を強制される事について、どう思われますか?
生徒側は教育の経費を税金としてを支払っており、教師にタダでボランティアをしてもらっている訳ではありません。
教師側が給料を受け取る事は一つのビジネスとして成立している以上の理由付けは難しく思います。
「我が師の恩」と言う歌詞を歌う行為は、個人的に教師に恩を持つ人間がそれぞれの場で感謝し謳えば良い物であると考え、一斉に強制的される物ではないと考えます。
卒業式など重要に参加せざる得ない場所で、強制的に教師に向かって起立しを斉唱すべき事は「仰げば尊しに反対する者も少なからずおり、このような主義主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する権利。 起立や斉唱の義務を課すことは思想・良心の自由を侵害する」
一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく、教育基本法10条1項で定めた『不当な支配』に該当し違法すると考えられます。
question:1158993343

どう見ても「国旗・国歌訴訟」*1のっかりネタ。面白い質問だと思った。
けど小中学生でここまで考えるようなやつあんまいないだろうなw
僕は「強制」された記憶も「仰げば尊し」を歌った記憶もないんだけどたぶんどっかで歌ったような気もする。
というわけでこんな回答を残しといた。

僕の学校は強制されませんでしたが…
なんというか「仰げば尊し」を歌うのは卒業式のお約束、というか形式ですよね。別段そんなにみんな心を込めて歌ってるわけではないとは思います。「強制」というより「伝統」みたいに思ってました。

ちょっと誤解を招きそうだな…。僕はもちろん質問者の意見に同意ですよ。
(追記)回答眺めてて今頃気づいたが、この部分はたしかに疑問。

> 生徒側は教育の経費を税金としてを支払っており、

> 教師にタダでボランティアをしてもらっている訳ではありません。

> 教師側が給料を受け取る事は一つのビジネスとして成立している

これを理由として取り上げていることがもっと変。
http://q.hatena.ne.jp/1158993343/44852/#i44852

たしかにそこは変かも。
返信にも書いたけど、これってあの「いただきます」論争と構図が同じだったりもするんだよね。


*関連*2

上と同じような話題かな。(なんかタイトルが変じゃないか?)
この元ネタの新聞記者も論理的能力が足りないことが分かりました、失望!「日本はもう終わりです!」

学校には校則が、社会には就業規則、服務規程等がある。それに違反すれば処分は免れない。

憲法や法律よりも規則やマナーの方が重視されるんですか、そうですか。へぇ。

国歌の強制を反対しておいて、なんで校歌を強制するのですか?

校歌も強制はダメですよ。

自由よりマナーが大事な人

式典で君が代を歌うのがそんなにご立派な「マナー」だとは思いませんが、そこは讓るとして。「当たり前のマナーが守れない」とか「わがまま」とか「身勝手」とか。「自由」がこれほど平然と非難されてしまう、これには寒気がしてきます。式を積極的に妨害したなら処分されても当然でしょう。だけど「皆が歌ってるときに歌わない」だけのことを、そこまで「迷惑」と思うなんてね。異分子が存在すること自体が、彼らは不愉快で許せないんでしょうね…。

結局、彼らは自由よりマナーのほうが大事なんだろうな、と思う。僕には自由のほうが圧倒的に大事ですけどね。と言うとすぐ「何をやっても許されるのか」と言われそうだけど。皆と同じようにしてほしい、と説得するのは構わない。だけどそうしない人を、積極的に妨害しているわけでもないのに罰することはできない。それは許されない。

他人の自由を阻害しない限り自由にしていい、それが近代社会の獲得した自由という価値だと思います。これって最も基本的な価値観のはずなのですが、それがあんまり大事にされてないんだな、と思って暗い気分になるわけです。なんだか。

「世間」的なものの圧力による自由の阻害。
この国では未だ「自由の価値観<<<世間の価値観」だったりするのですなぁ…。

都教委の教職員への国旗掲揚・国歌斉唱時の起立の強制だけれど、果たしてこれを純粋に思想・信条の自由の問題として処理すべきなのかどうか、僕にはちょっと疑問がある。

思想・信条の自由は内面のそれに較べれば、実際の言動では大きな制約を受ける。
……
業務的に必要不可欠、かつ妥当なものか、業務内容に沿って価値中立的なものであるのかが、行為の妥当さとして問われてくるわけで、国旗掲揚・国歌斉唱は式典に伴う通常の慣行であり、かつ、実際的な致命的な損失がないのであれば、式典中の言動について業務として強制することは、そんなに一目瞭然に不当なことだとは思えない。

妥当かどうかまでは疑問だけど。

この話題ははっきりと反応が二分されるんだけど、これはめずらしく割と中立に近い意見。
「公共の福祉」と呼ばれるものの「公共」をどう捉えるかによりますね。

愛国心は育たない
私がいいたいのはまず、この強制が進んだ先にあるものは「愛国心」ではなく「服国心である」という点だ。

新語「服国心」。なかなか言いえて妙かもしれない。

はらわたが煮えくり返るんじゃないかな?それにしてもコメント欄すご。


*関連ニュース

 最近は、自民党内の若い議員を見ても、怖い。過去の戦争を「すべて正しかった」と考えていて、頭は大丈夫かと疑いたくなる。日中戦争は明らかに侵略戦争だし、韓国併合は植民地化で、自衛戦争の面がある太平洋戦争でも、インドネシアの人を日本人化しようとしたのは間違っていた。

誰だろ。

 どっかの読売の社説とは大違い。

*1:この問題に関する僕の意見はこちら→http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20060922/p1

*2:なんかこの辺の問題の関連エントリーをいくつか読んでてふと、イスラム教で偶像崇拝が禁止された理由が分かった気がした。