skype、際限の無い会話、エクリチュールの物質性と自由

さっきまで友人らとスカイプで話していた。スカイプだとかなり長い時間話し込んでしまう。一晩中徹夜で話してしまうこともザラだ。
前にスカイプのコミュニケーションのやめられにくさを思慮したが、当たっていたみたい。

  • ケータイだと通話料なるものがリアルにあるのでそれを気にして通話は自然と控えて、メールとかで済ますようになる
  • メッセンジャー等のチャットは通話料とか無いけどタイピングが面倒くなったり話題が続かなくて終わる
  • ケータイメールなんかは打つのがもっと面倒
  • スカイプの場合
    • 通話料はかからない(初期費用ヘッドセット代のみ)
    • タイピング不要
      • しゃべるだけ
      • しかも手が空く
        • ネットとかテレビ見ながら等、作業しながらでも話せる*1
    • 話題の切り替えが比較的容易


言語コミュニケーションには大きく分けて媒体が2つあると言える。
「声」そして「文字」だ。

スカイプの経験から一つ分かることは、端的に言えば、「声」というメディアが即時的、ある種共時的なコミュニケーションの際に非常にラクな媒体だということだ。
当たり前に聞こえるかもしれない。しかし私たちはこのことをあまり意識していないのではないか。

id:wa-ki:20051207のところでも引用されているが、『波状言論S改』に載ってる東浩紀の発言より↓

人間の責任の範囲は、基本的に物理的な条件で制限されている。デリダふうに言えば「エクリチュール」の問題です。エクリチュールには限界がある。なぜなら物質だから。これは口頭の会話でも同じです。しゃべりつづけると疲れる。しゃべれなくなるから話題を変える。あるいは解散する。そうやってコミュニケーションは続いていく。限界があるからこそ無限に続く。これは矛盾でもなんでもなくて、具体的にそうなんですよ*2(太字は引用者による)。

長い時間しゃべりつづけるのはたしかに疲れる。そこには2つの意味での限界がある。

  • 舌が回らない、喉が渇く、眠い等といった物理的、生理的限界
  • 話題の限界

チャットなどの文字による即時的コミュニケーションはさらに限界があるのは直感的にも分かる。

  • 時間差が口頭でのコミュニケーションよりはある(タイピングの速さで個人差はあるが)
  • 文脈(表情、感情などなど)を口頭でのコミュニケーションより伝えにくい

つまり「文字」という媒体はそもそも即時的なコミュニケーション向きではない。
「文字」は時間、空間を越えて遠くにメッセージを届けることに適性のある媒体だ。


「声」は基本的にはその場限りで虚空に消えてしまう一回性の表現だが、
「文字」は理念的には時間的にも空間的にも無限に近い永続性の表現と言える。


しかし「情報技術」という「記憶のテクノロジー」が発達してきたことで、そこには大きな変化がある。私たちは「声」ですら時間や空間を越えて遠くにメッセージを届けることができるようになってきたのだ。

無線、ラジオ、電話、テレビ、ケータイ、そしてインターネット…

デジタル化の流れは「文字」も「声」も「映像」も時間的にも空間的にも無限に近い永続性の表現にした。

これをベルナール・スティグレールに習って「パロール(声)」のデジタル化*3、あるいはエクリチュール化と呼ぶこともできるだろう。

ベルナール・スティグレールが言うように「あらゆる技術の産物は同時に記憶の産物*4」であると言える。そしてそれは「書物」が「文字」を記録―記憶したように、あらゆる媒体(「文字」「声」「映像」)を記録―記憶してしまおうという人類の果ての無い野望によるものだ。

野望、それは「自由」を目指した野望だ。
パロールエクリチュールの物理的、物質的条件を超えて遠くへ遠くへ自由に届くこと。
つまり「エクリチュール」とは「自由」を指向するメディアなのだ。


PS.生物に「進化」というものがあるとすれば、それは生物が「自由」を手にしていく過程で計ることができるのではないか。それは「エクリチュール」という「秩序」―ある種の不自由を引き受ける過程ででもあるだろう。つまり「進化」とは「記号論的自由*5」を獲得していく過程とも言えるのではないか。

『季刊インターコミュニケーション』2005年winter「情報社会の変貌―その可能性と不可能性」

生命記号論―宇宙の意味と表象

生命記号論―宇宙の意味と表象

*1:人類が声というメディアによる言語コミュニケーションを生み発達させたのは、(二足歩行により自由になった)手による作業をしながらでのコミュニケーションの必要があったためではないか、とか本気で今思った。それまではジェスチャーとかである程度コミュニケーションが可能だったように思う。

*2:東浩紀「第二章 リベラリズム動物化のあいだで」(北田暁大鈴木謙介との対談)『波状言論S改』東浩紀編著、大澤真幸北田暁大鈴木謙介宮台真司著、青土社、2005年、237頁

*3:ベルナール・スティグレール「記憶産業/記憶のテクノロジー」『InterCommunication No.55』 92頁

*4:同上 91頁

*5:ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』105-106頁