ありがとうございます

なんとトラックバック+ご紹介をいただいてしまった。

古典的人文系育ちの私にはできない工学的発想がさらっと書いてあって無類に面白い
id:Pyotr1840:20051117

なるほど、そんなふうに見えるのでしょうか。「工学的発想」か。

「政治的」なものにとっても弱いってのはありますね。
ホント右だとか左だとか勘弁してくださいって感じです、汗。
頭がちんぷんかんぷんになります。いったい何が対立しているのか。正直よく分からないところが昔からある。

そういえば、僕がそういう「右」だとか「左」だとかいう言葉を知った(知ったと言っておきましょう)のは、高校をサボってたときに読んだ「小林よしのり」を通してだったりします。
友人からコレ面白いよと言われてあの『戦争論』の2だか3だかを読んだ。(それ読むまでは「右」とか「左」ってのはよく分からなかったといっていい。下手するとそういう「対立」みたいなものすら分かってなかった。今でも分からないことは多いけど…)

あのころはけっこう面白いなぁとか思って読んじゃったりしたのですが、そのちょっと後に宮台真司と出会ってしまい、あんましこっちに偏りすぎるのはマズイな、と感じて一気にそういう世界からは退いてった記憶があります。単純だな>自分。
けどそんな宮台氏が、今じゃどちらかというと小林よしのりの側に片足つっこんでいるのですから、複雑な気持ちじゃありますわな。

まぁ歴史は重要なんですけどね。僕の好きなエレカシ『so many people』の歌詞にもありますが、「好むと好まざるに関わらず僕らは、歴史を引きず」っている存在であるのですからね。「定めなき世の定め」であります。
ただ、時には歴史を(から)「切断」したい(されたい)ときがあるわけですよ。
これが例の「降りる自由」ってやつなのでしょうか。

ただでさえ、どう振舞おうとも僕たちの行為には常にすでに「歴史」が刻印されてしまっているのです。「権力」と言ってもいいかもしれません、「権力」に行為が規定されている。
けど余計な権力というものがなんとまだこの世の中にはあふれていることか!
人種差別、いじめ、性別役割分業、オタクバッシング及びそのバックラッシュとしてのオタク賛美、嘲笑…。
そういう軽く非合理な権力を解除するために、軽く「降りる」(解離する)というのもアリでは?

まぁ降りっぱなしなのも問題かもしれませんがね…。

id:Pyotr1840氏は思想史リング経由でこのダイアリーを知ったご様子。。。
こんな歴史とかにあまりに疎い自分がこのようなリングに参加していいものやら…
とりあえずこのリングにふさわしいエントリを少しづつ、たまーに書いていけるといいなぁ…。

新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (2) so many people