小中学校で嫌いだった時間。

小学校、中学校で一番嫌いだった時間を聞かれたら、僕は「給食の時間」をあげるだろう。

授業の時と同じ決められた席で、しかもたまたま近くの席になった人と作った班ごとに周りの机をくっつけ、向かい合って昼食をとらなければならないというあの理不尽さ。

別に話したりするわけでもないのになんで向かい合わなきゃならないのか。

しかもそういやあの頃は男女が交互の席になるような席順になってたから、向かい合ってたのは女子だった。つまり給食のときは女子と向かい合ってたわけだ。自意識過剰だった僕は毎日、緊張しながらうつむいて食事を摂っていたはずだ。

玄田有史中央公論の時評でこんなことを言ってた。「いやいや学校に通ってる人?」という質問に中学校の生徒が嬉々として手を挙げるという話の後、

だとすれば、ここでこそ、本当のことを言うべきだ。
「勉強っていうのは、働くのに一番大事なことを習っているんだ。
 仕事をしていると、訳のわからないことや、嫌だなと思うことがしょっちゅうある。
 何のためにこんな思いをしてまで働くのかと感じたりする。
 勉強なんていうのは、意味がわかることも大事だけれど、訳のわからないことに馴れる練習なんだ」と。
 ・玄田有史「意味過剰の時代に」『中央公論12月号』2005

けど、それでいいのか?それだけでいいのか?
「意味」に囚われることはそんなによくないことなのか?
理不尽なことには抵抗できる「人間」の教育は?