:家族、精神分析。
つづき。
昨日も引用したように〈何事もつつみ隠さず、タブーをつくらず、できるだけすべてのことを分かち合う〉ということをこの家族はルールとしているのだが、その遵守ぶりが冒頭からいきなり示される。
女子高生のマナ(鈴木杏)は母親の絵里子(小泉今日子)に、朝っぱらから開口一番、こう話しかける。
「ねぇ、私、どこで仕込まれたの?」
「仕込む?」
「命を授けられた場所、出生決定現場。」
性のタブーというのはどの家族でも、程度の違いはあるにせよあるものだ。それはよくある、「食事中に見てたドラマでキスシーンや濡れ場が出るとすごく居心地が悪くなる気分」だとか「母親や姉にエロ本が見られて合わす顔がない」という経験は、他人と話しててもある程度共有できるものだ。
それにしてもこういうとき、僕たちは何を恥じているのか?何を恐れているのか?というのはあまり考えられないものだったりする。
そのことはこの経験が、未だ古典的な「精神分析」における「抑圧」が、「家族」という共同体においては、未だに有効な概念であることを教えてくれる。
そう、「家族」とは優れて「精神分析」的なものだ。
このことは斎藤環氏の著作、博士の奇妙な思春期の第10章、「セックスと死と金銭のタブー」において詳細に論じられている。
斎藤は、ひきこもり経験者である上山和樹氏による、〈「性・死・お金」の3つのテーマが家族内で最も避けられがちな話題であるがゆえにひきこもりと向き合う際に最も重要である〉という指摘から、「なぜこれらの話題は避けられるのか」「なぜそれは『なまなましい』『異物』という位置にとどまり続けるのか」と問いかける。
上山によってそれは、それら(性・死・お金)が
『お互いがまったく別の個人である』
ということをむき出しにするテーマであるからと述べられているのだが、これ以上書くと長くなりそうなので、この話はまた今度。
この第10章で興味深いのは「タブーから儀式へ」と題されたところで、当時の「近親相姦的な物語の流行」のような「タブー侵犯」の傾向を取り上げてのこのくだり↓。映画にも関係ありそう。
これらの表現活動が指し示すのは、むしろタブーの侵犯がもたらす享楽が、いまだに物語を駆動しうるという、むしろ喜ばしい徴候ではなかったか。
こうした享楽の効果は、言うまでもなくタブーの健在ぶりを証し立てるものでしかない。
p198 『博士の奇妙な思春期』斎藤環
『空中庭園』に当てはめれば、角田光代−豊田利晃−絵里子は「タブーの侵犯」を戯画的に徹底化することにより「家族」という「物語」を高速でドライブさせ、解体、そしてさらに再帰させた。*1
斎藤はこれらの「タブー侵犯」をもって、タブーならびに精神分析の終焉を期待しようとする姿勢を「錯覚は錯覚にすぎない」と切って捨てる。
こうした発想は、タブー=抑圧=無意識という、一面的な発想に縛られているだけだ。
変わったものは、タブーと抑圧の位相にすぎず、それらが消失したわけではもちろんない。
私はこうした一連の現象を「ペニスによるファルスの隠蔽」とみなしている。どういうことか。
p199 同上
どういうことなのでしょう。
ラカンの言うとおり、ファルスは常に隠蔽された状態で効果を及ぼす。
このファルスの位置(=深層に非ず)こそが無意識であり、そこがタブーの淵源だ。
われわれの強迫観念は、あらゆる「深層」からタブーを引きずり出し、暴き立てることを要請する。
しかしそのような行為は、「タブーの(換喩的)移動」に無自覚であるがゆえに、常に失敗に終わるほかはない。そう、表象化され意味づけられたタブーは、もはや本来の機能を失った、いくぶんショッキングなイメージでしかないのだ。
それはあたかも、象徴としてのファルスを、文字どおりペニスのイメージで置き換える試みに等しい。
もちろん、ペニスのイメージは「ファルス」などではない。
そこで演じられるのは、もはやプレイとしての「禁忌と侵犯」でしかありえない。
p199 同上
プレイとして演じられる…まさに「学芸会や…」(ミーナ先生)ですね。
演技は「本当のこと」を見ない(見せない)ために行われました。
長々と引用してしまいました、汗。斎藤先生、許してください<(_ _)>え、ダメ?
ここまで引用して何が語りたいのかというと、はじめで引用した映画の冒頭があまりにもさわやかだったんですよ。妙な違和感を感じて気になっていた。
アレはタブーじゃなくなってるんですよね、すでに、あの京橋家という家族にとっては。
すでに、言葉にしたとたんに、タブーにはもう逃げられてしまっている。
このことは「母親とか父親にエロ本が見つかって恥ずかしく感じたが、そのうち見つかっても意外と平気になったりした」という自分の経験からもよく分かる。
真のタブーはいつも否定的に指し示されるほかないのですね。否定神学的だ。
時間が来てしまった…つづきはまた今度。
- 作者: 斎藤環
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