神と出会うことで自由になれる―『イエスはなぜわがままなのか』岡野昌雄(アスキー新書)

イエスはなぜわがままなのか (アスキー新書 67)

イエスはなぜわがままなのか (アスキー新書 67)

他とは一味も二味も違う過激(?)な思想に魅了させられてしまうishさんのブログで紹介されていました。

 岡野昌雄さんの『イエスはなぜわがままなのか』。タイトルがあまりに「今時の新書」風で敬遠していたのですが、手にとって見ると素晴らしい一冊でした。わたしが信仰について考えていること、今まで果てしなくわかりにくく書き散らしてきたようなことを、極めて平易に説いて下さっています。


買って読んでみましたが、素敵な新書です。おじいさんが優しく語りかけてくれてる感じ。

「信仰」というとりわけ日本人には分かりにくい概念を、こんなに分かりやすく解説できるとは。


タイトルは聖書に描かれているイエスキリストの理不尽な行動から。

実をつけてないイチジクの木を呪って枯らしたり、豚を集団自殺させたり、動物をムチで叩いて市場をめちゃくちゃにしたり。。。

一番笑ったのは弟子に放った次の一言。


「おまえなんか生まれてこなければよかった」


エス様ひどすwww


1章はこれらのわがままなイエスの行動をどう解釈すればよいのかについて考えてます(少々無理が感じられるところもありますが、笑)。


本書で僕が一番面白かったのは次のところ。

…聖書には「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ福音書8章32節)というイエスの言葉が記されています。…

 私たちは真理、すなわち神と出会うことで自由になれるーそれは、神と出会うことで、絶対的なものは神しかない、つまり逆に言えば、すべてのもの(神以外)は絶対ではないと思えるようになるからです。…

 ここには、価値観の転換があります。もし神(真実)以外のものがすべて絶対でないのならば、私たちは神(真実)以外のものに支配されることはありません。つまり、この世のどのような事柄にも(社会的な地位や名誉やお金といったことにも)支配されない、そしてそこに価値を見出さなくなるのです。ここには、確かに自由があると言えるのではないでしょうか。


「宗教」と聞くとカルト集団を思い出してしまう人にとっては「信仰が自由をもたらす」というのは逆説めいて聞こえるかもしれないですが、信仰の本質というのはそういうものなのだと僕は思います。

そういえば同じようなことを苫米地英人も書いてました(*)。
苫米地の場合は仏教をベースにして考えてましたが、仏教から出発してもキリスト教から出発しても同じような考えが出てくるところも面白い。


(*)↓たしかこの本だったかなー。

「自灯明自帰依 法灯明法帰依」だっけ。

あと「あの世の論理」/「この世の論理」という言葉を使ってよく説明してますね。

上の話に当てはめると

  • 「あの世の論理」=神
  • 「この世の論理」=社会的な地位、名誉、お金

に対応しますね。


洗脳 ~スピリチュアルの妄言と精神防衛テクニック~

洗脳 ~スピリチュアルの妄言と精神防衛テクニック~

苫米地の新刊。ほとんどいつもと同じようなことしか書いてなかったけど、カルト宗教をビジネスとして捉えて分析しているところがえぐくて面白かった。