光市母子殺害事件についての素朴な私的メモ

僕は裁判などを追ってないので議論できるほどのことは言えないが、友人のid:kingworld君が懸命になっているのを見ていると何も語らないのが申し訳なくなってくる。

ここで簡単に僕の思うところを書き記しておこうと思う。
ある意味とても素朴な話だ。前にも酒の席で話した気もするけど。


僕が問題にするところは大きく2つ。

  1. 遺族の報復感情をどのように解消させうるか
  2. 死刑が執行されたとして、遺族の感情はそれで解消されるのか


前者については被害者側である遺族が「死刑」を要求していることから加害者が死ねばそれであるていどは解消されるだろう。
問題は後者だ。遺族は母子の命とともにこの事件にすでに人生の何分の一かを失ってしまった。加害者が死んだとしても、母子は戻ってこない。
遺族である彼は、加害者の元少年が死んだあとに改めて、人の命の重み、人生の重みに気づかされるのではないだろうか。そのとき、彼のこの感情はどのような形で救済しうるのか。


想像の話だが僕は、もし死刑が執行されたときのそのあとの話が気になってしょうがない。


唐突に聞こえるかもしれないが今、遺族にある選択肢があるとすれば3つ。


「死刑」か「信仰」か。あるいは両方。


あるいは遺族はすでに「死刑が執行されれば母子への報いになり自分の使命が果たされる」と信仰されているのかもしれない。
だとすれば「死刑執行」が遺族にとってもっとも理想的な形の報復として成されることだろう。

その後の遺族がどんな気持ちで余生を過ごされるのか僕には想像できないが。


あとちなみに菊地成孔が何言ったとかそんなの気にする必要なくね。
世間というマスゴミが何言おうと、裁判が公正に成されるのを信じるしかないっしょ。
2ちゃんとか他のブログとかが何言ってるとかも僕はあんま興味ないな。