三浦しをん『シュミじゃないんだ』

移動中のバスで読む。

シュミじゃないんだ

シュミじゃないんだ


帯にあるとおり、


「新・直木賞作家による、愛してやまぬボーイズラブ漫画についてのエッセイ!!」


らしいよ。去年の11月発売。
野火ノビタ(榎本ナリコ)以来の貴重なボーイズラブの語り手あらわるっ!て感じかな。
もちろんこの人の「ツボ」がボーイズラブ好きに共通するとは言い切れないけど。


しかしいきなり「攻」「受」の説明もなしにいきなり「リバーシブル」とはなwいきなり変化球きたぜ。
けどやっと「リバーシブル」の意味はわかった。感じはわからんが。
三浦はこう語る。

少女漫画の延長のように頬を赤らめて「好きだよ」「うん、俺も」という話を読むには気分がやさぐれてすぎている。
かと言って「うはあ、すね毛がからまるぜ」「それがいいんだろ」という話を読むにはパワー不足だ。


そんな日には、適度にリアルな「リバーシブル」物を読みたいものである。「適度にリアル」っつうのは、
「乙女の夢と欲望を同時にかなえてくれる」ってことだ。(引用者改行)


三浦しをんシュミじゃないんだ


リバーシブル」については三浦しをんが我に返りつつも真剣に3つに分類してくれてるから本書p15を参照。要するに「ギャップ」とか斎藤環野火ノビタとの対談で得たキーワード「落差」に近いものだ。彼女たちはそこに「適度にリアル」=「リアリティ」を感じる。
それを三浦が「乙女の夢と欲望を同時にかなえてくれる」と表現したのが面白い。
上の引用からもわかるが「乙女の夢」とは「少女漫画」的現実のことを指す。
一方「乙女の欲望」とは「うはあ、すね毛がからまるぜ」「それがいいんだろ」といったディープに感じられる「ボーイズラブ」的現実のことだ。
三浦はその揺れる狭間に「適度なリアル」を感じる。三浦のエッセイのバランス感覚はここからきているのだろう。


あ、東京着いた。